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Baa,Baa,Baa. | Week of Nov 10, 2025
【Weekly Picks】アート市場の新たな主役はZ世代の女性たちだ
カルチャー、アート、テクノロジー、ビジネス、そしてデザインやライフスタイル、ファッションやメディア──日々、私たちの周りでは何が起きていて、それは一体どんな意味を持つのでしょうか。
The Rest Is Sheepの2人が刺激を受けたストーリーを、私たちならではの視点を交えてお届けします。
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🐏 Baa,Baa,Baa.
Weekly Headlines
アート市場の新たな主役はZ世代の女性たちだ
Hypebeast Grocersの台頭
均質化するウェルネスへのアンチテーゼ
ダイエット信仰と「サングラス・チャレンジ」
「スクリーンタイム」の管理にもはや意味はない
高齢者たちこそが本当のスクリーン中毒者だ
ウォール街のエリートたちは、マラソンタイムをステータスシンボルに変えつつある
1. アート市場の新たな主役はZ世代の女性たちだ
Art BaselとUBSが発表したレポート「Survey of Global Collecting 2025」によると、富裕層コレクターのうちZ世代とミレニアル世代の女性は、男性より多くの金額をアート購入に費やしており、リスクを恐れず新進作家を積極的に支援しているという。女性コレクター全体の平均支出額は男性を46%上回り、特にZ世代、ミレニアル世代の女性は、写真やデジタルアートといった非伝統的メディアに高い関心を示す。一方で、作品購入の動機も投資目的ではなく、自己表現や文化的共感、純粋な楽しみに重きを置く傾向が強い。女性コレクターの収集作品のうち49%が女性アーティストによるもので、男性の40%を大きく上回る点も特徴だ。また、Z世代コレクターは総資産の約4分の1をアートに投じる「オムニボア(雑食的)コレクター」として台頭しており、スニーカーやハンドバッグといったラグジュアリー消費にも積極的だ。アート市場の不安定さが語られる中、この女性主導の動きは、文化資本の新しい地図を描きつつある。
2. Hypebeast Grocersの台頭
Rigor HillやHappier Grocery、Erewhon、Meadow Laneなど、ニューヨークで台頭する新たなタイプの高級グローサリーについては私たちも先日書いた通りだが、ニュースレター「Snaxshot」のAndrea Hernándezはこうした店舗を、皮肉を込めて「Hypebeast grocers」と呼ぶ(ストリートファッションの分野で使用される「Hypebeast(流行や限定品を追いかける熱狂的な消費者)」という言葉をもとにした造語)。商品そのものよりも話題性やブランド、希少性を売りにするそれらの店は、購買の場というよりも自己演出の舞台であり、その消費スタイルは小さな贅沢で自尊心を満たす「リップスティック効果」の延長線上にある。バーキンは買えなくとも、Erewhonで20ドルのイチゴを買って、SNSに投稿できる──実際にそれを食べるかどうかは問題ではない。こうしたグローサリーは、Whole FoodsというよりBalenciagaやTelfarのようなファッションブランドに近い。限定ドロップやマーチャンダイズを展開し、「ウェルネスを商品化しプレミアム価格で販売する」ことで、従来のグローサリーが抱えてきた薄利多売のジレンマを乗り越えている。だが、米国ではそうした「ハイプ消費」が象徴する贅沢の裏で、SNAP(低所得者向けの食料補助プログラム)に頼る人々は増えている。食料が贅沢品になりつつある現実のなかで、グローサリーという身近な空間が、都市の新たな格差の鏡になりつつある。
3. 均質化するウェルネスへのアンチテーゼ
ヴィンテージのLululemonなど、古い運動着を求める若者が増えている。リセールアプリDepopでは「ヴィンテージ Lululemon」の検索が急増しており、Z世代の若者たちが日常的な買い物でも中古品を選ぶようになった。これは特別な掘り出し物を探す従来の古着購入とは異なる消費行動である。Free People MovementやAdanolaなどの新興ブランドは「レトロ」という言葉を使用しノスタルジックなデザインの新作を販売し、全米で好調な売上を記録している。29歳のインフルエンサーは「毎日同じセットアップでは退屈。運動に少しスパイスを加えたい」と語る。Nikeのテニスドレスや古いブランドTシャツを新しいバイカーショーツと組み合わせるなど、個性的なスタイルが人気だ。28歳のグラフィックデザイナーは「ウェルネスシーンに個性を取り戻している」と語り、現代のアスレジャーが「誰も気づかないうちに制服化した」と指摘する。ゆったりしたTシャツやバギーパンツなど動きやすく個性を表現できる古着は、SNS時代の画一的なフィットネスファッションへのアンチテーゼとなっている。
4. ダイエット信仰と「サングラス・チャレンジ」
今年6月、TikTokは有害なダイエットコンテンツを抑制するためにハッシュタグ「#SkinnyTok」を禁止した。しかしその後も、利用者は新たな形で同じような表現を続けている。最近では「サングラス・チャレンジ(Sunglasses Challenge)」と呼ばれるトレンドが拡散し、「サングラスがウエストに収まるほど細い」とアピールする動画が人気を集めている。だがこれは、摂食障害の典型的な症状である「ボディ・チェック」──自分の体型への不安から、頻繁に体を確認・測定する行為──を娯楽的に見せるもので、視聴者に「自分もこうならなきゃ」と思わせ、自信の低下や体型への不安を強める危険がある。これらの投稿は「OOTD」や「今日食べたもの(what I eat in a day)」など日常的なテーマを装って拡散しており、プラットフォーム側での検出や規制は難しい。専門医ローレン・ハートマン博士は「ダイエット文化は形を変えながら生き続けている」と指摘し、サングラス・チャレンジもまた「細い体こそ理想」という価値観を再生産していると警鐘を鳴らす。見かけ上は「ボディ・ポジティブ」や「自己表現」を装いながら、実際には「細さこそ美しい」というメッセージを広める──こうした流行を「ダイエット文化の偽装」として見抜き、距離を取ることが私たちにできる最も重要な対処だ。
5. 「スクリーンタイム」の管理にもはや意味はない
「スクリーンタイム」という概念は、1991年にトム・エンゲルハートが提唱したもので、当初はテレビ視聴時間を問題視する文脈で語られていた。今日では、スマートフォンやゲームの使用を制限すべき指標として扱われているが、イアン・ボゴストはそれがもはや意味をなさないと指摘する。問題の本質は時間の長さではなく、スクリーンを介した情報の速度と断片化にある。私たちはウィンドウが並ぶPC上で作業をしながら、絶え間ない通知やリマインダーのなかで、注意を分断される。34年の間にスクリーンは生活のあらゆる領域に浸透し、仕事も学習も娯楽も、そして対人関係さえもその上で行われるようになった。いまやスクリーンタイムを測ることは「起きている時間」を測ることに等しく、それを減らす試みは根本的に無意味だ。なぜなら、友人との通話や家族との連絡といった有益な行為もまた、スクリーン上で完結しているからである。読書や小説が「心を閉ざす危険な習慣」と見なされていた時代もあったように、私たちは新しいメディアに戸惑いながらも、それを通して生を組み立ててきた。マクルーハンはかつて、電子メディアが人々を感覚的につなげる「グローバル・ヴィレッジ」をもたらすと予言した。彼の言葉はある意味で的中したが、ボゴストはその理想とは異なる見方で現実を捉える。スクリーンは確かに世界を結びつけたが、それは共感や共同体を生んだのではなく、あらゆるメディアを取り込み、注意を分断し、加速し続けている。スクリーンタイムとは、現代に生きることそのものであり、私たちはその速度の中で生を営むほかないのだ。
6. 高齢者たちこそが本当のスクリーン中毒者だ
そんな「スクリーン中毒」と聞けば若者を思い浮かべがちだが、実はいま最もスクリーンに夢中なのは高齢者かもしれない。イギリスのゲーム依存症クリニックでは40代以上の患者が増え、最高齢は72歳だった。これまで「(幼少期に経験すべきことを)スマホやソーシャルアプリに奪われた世代」として若者の依存が問題視されてきたが、定年を迎えた60代以降の人々もまた、日常の多くをデジタル機器に費やしている。65歳以上は25歳未満よりもタブレット端末、スマートテレビ、電子書籍リーダー、デスクトップ/ノートパソコンを所有する割合が高く、テクノロジー企業は高齢者を成長市場として捉える。SNSやゲーム、動画視聴に費やす時間は年々増加し、テレビ視聴と合わせると若者より長い時間を「スクリーン前」で過ごす高齢者も多い。十代の若者にあるような、日中は教師がスマホ使用を監視し、夜は親が小言を言う、といった社会的監視機能も高齢者には働きづらい。ただ、スマホ経由での詐欺や睡眠不足などのリスクが指摘される一方で、オンラインでの交流や趣味の活動、家族とのつながりを支えるといった利点も大きい。中にはVR技術で記憶を刺激し、心の健康を回復させた例もある。高齢者の「デジタル化」は、孤立を埋め、記憶を呼び覚ます新たな老後のかたちを描きつつある。良くも悪くも、高齢者のスクリーンタイムはまだまだ拡大していくだろう。
7. ウォール街のエリートたちは、マラソンタイムをステータスシンボルに変えつつある
マラソンシーズンを迎え、「走ること」を巡る記事を目にする機会が増えているが、この記事は、かつて最も手軽なスポーツとされたランニングがいまや富裕層の新たなステータスシンボルとなっているという側面に焦点を当てている。ウォール街のエリートたちは、個人トレーナー、血液検査、専用マットレスや高地トレーニング、サウナやアイスバスなど、科学、医療、テクノロジーを総動員して「速く走る」ために惜しみなく投資する。数百ドルの点滴や治療、数千ドルのシューズ──その効果が必ずしも科学的に証明されていなくても、「これが自分の限界を押し上げる」と信じて投資を続ける。そこには、記録更新だけでなく、「努力している自分」を可視化するという意味合いもある。高額な消費は、成果よりむしろ自己管理能力やストイックさを誇示する証として機能しているのだ。こうしてマラソンは、単なるスポーツから「自己演出の舞台」へと変わった。タイムを競うだけでなく、自分をどこまで磨き上げられるかを示す文化的儀式のような存在になっている。もちろん、記録よりも「走ることそのもの」を楽しもうとする人びともいるが、多くのランナーにとって走ることはもはや習慣を超えた精神的依存でもある。富裕層のマラソン文化は、健康や幸福、達成感といった本来、内面にあるはずの価値さえ、投資とテクノロジーによって外部から操作、購入できるものに変えつつある。果たして、人はどこまで自分を「最適化」すれば満足できるのか──いま、ランニングはそんな問いを投げかけている。
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