Baa,Baa,Baa. | Week of Oct 27, 2025

【Weekly Picks】韓国発激辛麺「ブルダック」が世界を席巻する

カルチャー、アート、テクノロジー、ビジネス、そしてデザインやライフスタイル、ファッションやメディア──日々、私たちの周りでは何が起きていて、それは一体どんな意味を持つのでしょうか。

The Rest Is Sheepの2人が刺激を受けたストーリーを、私たちならではの視点を交えてお届けします。

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Weekly Headlines

  1. 韓国発激辛麺「ブルダック」が世界を席巻する

  2. Netflixは『KPop Demon Hunters』のヒットを予想していなかった

  3. Labubu化するル・クルーゼ

  4. あなたは本当に読書好きなのか、それともそれは「パフォーマティブ・リーディング」なのか

  5. スマホ禁止のバーで生まれる新しいつながり

  6. マラソンから考える「公共空間としての都市」

1. 韓国発激辛麺「ブルダック」が世界を席巻する

韓国発の激辛インスタント麺「Buldak(ブルダック)」が、TikTokを中心に世界的なバイラル現象を巻き起こしている。テキサス州の7歳の少女が、誕生日プレゼントに大好きなカルボナーラ味のブルダックを受け取り涙するTikTok投稿は、公開2週間で約6,000万回再生を突破。親会社のSamyang Foods(三養食品)は2022年比で売上を倍増させ、2025年には15億ドルに達する見込みだ。株価も年初来約100%上昇している。当初、ブルダックの人気は2014年に始まった「Fire Noodle Challenge(激辛ヌードルチャレンジ)」から火がついたが、その後もSNSのアルゴリズムを巧みに味方につけ、Z世代やα世代の間で「Kカルチャー」を象徴する存在に成長。米国では約2万8,000店舗で販売され、2025年上半期だけで1億8,500万ドルの売上を記録した。同社はSNSの投稿分析を商品開発にも活かしており、米国でブルダックソースをタコスにかける食べ方が話題になったことを受け、今年新フレーバー「Buldak Taco」を発売した。また、カプサイシンの含有量が高すぎるとしてデンマークで一時販売禁止となった激辛バージョンの販売が再開された際には「We Missed You!」という旗を掲げた船を出すイベントを開催。「辛さの自由を!」と声援が上がり、ネット上でも大きな話題を呼んだ。SNS時代に「辛さ」をコンテンツ化するこの戦略は、単なる食品マーケティングを超え、「文化的・感情的共鳴」を生む現象へと進化している。ブルダックは今や、米国の子どもたちにとって「新しいマッケンチーズ」、すなわちソウルフードとなりつつある。

2. Netflixは『KPop Demon Hunters』のヒットを予想していなかった

Netflix配信のアニメ映画『KPop Demon Hunters』が予想外の世界的大ヒットとなり、ハロウィンを目前にして北米の家庭ではコスチュームの争奪戦が勃発している。娘を主人公たちに仮装させたい親たち(KPop Costume Hunters!)は、公式商品が高価(主人公ルミのジャケットは約90ドル)かつ入手困難なため、低クオリティのコピー商品の入手や衣装の自作に奔走している。Netflixは当初、本作をアニメやK-POPファン向けのニッチ作品とみていたが、6月の配信開始後一気に人気が広がり史上最も視聴された作品となった。その想定外の成功に対応しきれず、商品展開の準備が追いつかなかったことで、ハロウィン商戦の好機を逃す結果となった。通常、子ども向けのビッグタイトルでは2年ほど前からアパレル企業などとライセンス契約を結ぶが、『KPop Demon Hunters』は新規IPだったため、企業側も慎重姿勢だったという。公式グッズは即完売し、ファンが自作でペンライトや武器を制作、販売するなど草の根の「二次流通」が活況を呈している。番組を超えた文化的ブランドとしての地位確立を狙うNetflixにとって、単なる収益機会だけでなく、スクリーンの外でファンダムを育てる貴重なチャンスを逃す形となった。

3. Labubu化するル・クルーゼ

かつて「一生モノの鍋」として人気を博したル・クルーゼが「Cheugy(流行遅れの、イケてない、必死すぎ)」と評されている。1925年創業、フランスの職人が鋳造するホーロー加工の鍋は、ジュリア・チャイルドや専門チャンネル「Food Network」の影響で米国の家庭に広まった。しかし近年、その理念が揺らいでいるように見える。ファンが殺到する「factory-to-table」イベントではミステリーボックスを奪い合う熱狂が生まれ、SNSでは不満レビューが拡散。鍋はもはや調理器具ではなく「Labubu化」した収集対象――つまり、限定色やレアなアイテムを追う自己演出の道具となってしまった。セレブのSNS投稿に反応して即座に製品を贈るPR手法や、スターウォーズ、ポケモン、ウィキッドなどとのタイアップも、「時代を超える道具」から「流行を消費する雑貨」への変質を加速させた。年商8億5千万ドル規模と成長は続くものの、ストーンウェアで作られた “Signature” スプーンレストのような形だけの製品も増え、かつての機能美は薄れている。高価な鍋を棚に並べることは、上質ではなく空虚さの象徴になりつつあるのかもしれない。

4. あなたは本当に読書好きなのか、それともそれは「パフォーマティブ・リーディング」なのか

あらゆる行為が「見せかけ(performative)」として監視されるSNS時代において、読書ももはや例外ではない。カフェや電車で本を開く姿は「performative reading(見せるための読書)」としてミーム化し、「本当に読んでいるのか」「知的に見せたいだけではないのか」という視線がつきまとう。TikTokやInstagramでは、カフェやバスケの試合中に本を読む映像が拡散し、「パフォーマティブ・リーディングに適した書籍リスト」まで出回るほどだ。オンラインの読書コミュニティでは以前より美しい読書環境や大量の読書リストが称賛され、本が「映える小道具」として扱われる傾向があった。この空気は実際の読書家にも影響を与えており、年に50冊を読む女性は「数字のプレッシャー」に追われ短い本ばかり選ぶようになったという。こうした風潮は、社会的意識を装う男性像を皮肉る「performative male(パフォーマティブ・メイル)」のトレンドとも響き合う――読書する男性が「女性に良く見られたいだけ」と見なされやすい現象はその象徴だ。ただ、ある読者は「たとえ見栄でも、実際に読めば知識が得られる」と前向きに捉える。たとえそのきっかけが「演出」であったとしても、本を手に取る行為自体が知の入り口となり得る。読書体験は、「自分のため」と「他者の目を意識するため」のあいだで揺れ動く行為であり、その二重性のなかで新しい意味を獲得しつつある。

5. スマホ禁止のバーで生まれる新しいつながり

ワシントンD.C.で、携帯電話の使用を禁止するバーやイベントが若者の間で人気を集めている。9月中旬にオープンしたバー「Hush Harbor」では、来店者全員がスマートフォンをYondrポーチに入れることが義務付けられ、客たちはジェンガやUNOで遊び、見知らぬ人同士が会話を楽しむなど、デジタル機器がなかった時代のような交流が生まれている。この動きの背景には、携帯依存への危機感がある。調査によると、平均的なユーザーは1日144回も携帯をチェックし、4時間半をデバイスに費やしている。同店のオーナーはゴードン・ラムゼイの『ヘルズ・キッチン』で優勝経験のある著名シェフ、ロック・ハーパー。自身の過度なデジタル依存に気づき、対面での交流と存在感を大切にする場の必要性を感じて開店した――店名は奴隷制下で奴隷の人々が秘密裏に集まり精神性を取り戻していた場所「Hush Harbors」に由来する。ジョージタウン大学Happy Tech Labの研究でも、携帯を持たない人同士の方がより多く笑顔を見せ、会話を楽しむという結果が出ている。Aspen Instituteが主催する「Airplane Mode」などスマホをオフにして対話や創作に集中するイベントなど同様の取り組みは他にも広がっており、デジタル疲れの時代に「つながらないことによってつながる」新たな価値として浮上している。

6. マラソンから考える「公共空間としての都市」

現代のランカルチャーについて書いた直後に読んだこのトロント・ウォーターフロント・マラソンについてのストーリーは、「公共空間としての都市の可能性」についての示唆に富んでいた。大会主催者Chris Fagelによれば、水辺と丘に囲まれたトロントの地形と、日々変化する市の状況を踏まえながら、毎年コースを再設計しているという。世界各地の大会を走る元外交官Andreas Weichertは、マラソンには都市ごとに「自分を語る」方法があると語る。東京のコースは主要観光地を通るよう工夫され、ニューヨークは五つすべての区をつなぐ。一方トロントは、賑わいと静けさを編み込みながら、走る人に「また家族と訪れたい」と思わせる親密さを生み出す。コースは単なるルートではなく、「都市の物語」そのものなのだ。レース当日、車道は人に開かれ、信号も交通も止まる。街全体が新しいリズムを刻み、歩道は応援席に、交差点は展望台へと姿を変える。音楽と歓声が街に響き、カフェや商店が活気づく。市民、ボランティア、観客、ランナーが一体となるその瞬間、普段は分断された街の断片がつながる。そのわずかな数時間が示すのは、「街は本来、人と人のつながりを支える場である」という確かな実感だ。マラソンは単なる競技ではなく、車中心の都市から人中心の都市へと転換する——トロントの未来の公共性を静かに照らすリハーサルなのである。

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