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#094_Sheep 儚きバイラル
SNS上でのバズやフォロワー数が信頼の証だった時代は終わりつつある。アルゴリズムはユーザーの滞在時間を最大化するために最適化され、AIスロップが溢れ、エンゲージメント率は静かに下落し続けている。それでも人々はSNSを手放せない──このアンビバレントな環境の中で、Maison Margiela、Jacquemus、Bottega Veneta、Miu Miuといったブランドたちは、拡散ではなく信頼を積み上げる術を模索し始めた。クラフトの可視化、時間をかけた物語、あえての届きにくさ、そしてオフラインという「場所」。バズという名のいっときの炎が消えたあと、ブランドと私たちの手元には何が残るのだろうか。


“The Rest Is Sheep”は、デジタル時代ならではの新しい顧客接点、未来の消費体験、さらには未来の消費者が大切にする価値観を探求するプロジェクトです。
役に立つ話よりもおもしろい話を。旬なニュースよりも、自分たちが考えを深めたいテーマを──。
そんな思いで交わされた「楽屋トーク」を、ニュースレターという形で発信していきます。
🔍 Sheepcore
カルチャー、アート、テクノロジー、ビジネスなど、消費者を取り巻く多様なテーマをThe Rest Is Sheepのフィルターを通して紹介します。結論を出すことよりも、考察のプロセスを大切に。
儚きバイラル

©︎The Rest Is Sheep
はい、それでは今日の授業を始めていきましょう。
みなさん、最近「バズってるコンテンツ」を見て、心から「いいな」と思ったこと、ありますか?たぶんどこかで、「またこのパターンね」って、少し冷めた目で見ている自分もいるんじゃないでしょうか。
かつて「バズる(Going Viral)」という言葉は、デジタルマーケティングでもポップカルチャーでも、ほとんど絶対的な正義でした。猫も杓子も「どうすれば話題になるか」を考え、マーケターは代理店に「とにかくバズる企画」を無茶振りし、個人はタイムラインの主役になることを夢見て、カメラの前で踊り、喋り、映えを競っていた。
でも今、その空気が少し変わってきています。私たちは「バズってること」そのものに、以前ほど無邪気に価値を感じられなくなっている。むしろ、「あまりにもバズを狙っている感じ」や、「アルゴリズム向けに最適化されすぎている感じ」にはダサさや空虚さを感じる。今日は、この「バズることがクールじゃなくなった」という現象の裏側にある、価値観の地殻変動を掘っていきたいと思います。
※ 生成AIが客観的な視点でレビューしています🐏🐕
信頼の崩壊とアルゴリズム疲れ
なぜ、こうした変化が起きているのでしょうか?
この講義でも、去年から今年にかけて、SNSの変容について何度か話してきました。フォロワー数がもう以前ほど威力を持たなくなった、という話。あるいは、フィードが自分の人間関係や興味関心を映す鏡ではなくなり、需要や空気そのものを先回りして設計する装置になってきた、という話。
この2つ、実は根っこは同じところにあります。SNSのフィードが、「人とつながっている」「興味関心を映している」という前提のものから、「アルゴリズムが主導するもの」へと、かなり深いところで性格を変えてしまった。今日の出発点もそこです。
2026年のいま、TikTokやInstagram、YouTubeのアルゴリズムは、人がどこで目を止め、何に反応し、どこで離脱するかを、かなり高い精度で先回りしてきます。プラットフォームが最大化したいのは、私たちが何を信じるかではなく、どれだけ長くそこに留まり、どれだけ反応し続けるかです。その結果、フィードは以前のように素朴に信頼できる情報の場ではなくなりつつある。ここに、いま多くの人がうっすら感じている疲れの正体があります。
そこへさらに重なってきたのが、AIスロップですよね。AIが量産する、低品質で、やたら既視感だけはあるコンテンツ。トレンド予測会社Death to Stockの創業者ショーン・シンは、「今の消費者は、アルゴリズム依存の匂いを一瞬で嗅ぎ分ける」と言っています。絶え間ない投稿、絶え間ないトレンド便乗、絶え間ない「文化をわかっているふり」。そういうものが、いまのネットではむしろ必死さとして見えてしまう、というわけです。
かつて「バズ」の必勝パターンだった、ミームのテンプレートや、冒頭3秒のフックもそうです。一時期はあれが「攻略法」でした。でも今は、そういった「型」自体があまりに流通しすぎた。しかもAIでも簡単に複製することができます。つまり、人はもう、その型の「裏側」を見抜いてしまっているんですね。
この変化は、ちゃんと数字にも表れています。PuckがDior、Louis Vuitton、Chanel、Pradaなど20のラグジュアリーブランド、計36,076件のInstagram投稿を分析したところ、エンゲージメント率の中央値はこの5年でおよそ37%下落していました。さらに、Quidによれば、Instagram全体でもエンゲージメントは前年比17%減。みんなが見なくなったわけではない。でも、以前のようには反応しなくなっているんです。
皮肉なことに、Prada、Gucci、Valentinoが相次いでAIを使ったクリエイティブキャンペーンにトライしましたが、いずれもネット上で厳しい批判に晒されました。Pradaのキャンペーンには著名な現代美術家、ジョーダン・ウルフソンまで起用されていましたが、それでも批判は免れませんでした。良かれと思って最新技術を使ったことが、むしろ「アルゴリズムに媚びている」と見なされてしまう。攻略された型を使えば使うほど、逆に数字が落ちる。これが2026年の空気です。
そして、こうした空気の果てに、プラットフォームそのものへの構造的な不信が顕在化しています。Z世代向けの「スマホなしイベント」コレクティブ「Logging Off Club」の共同創業者、アデル・ウォルトンは、こう語っています。「私たちはみんな、「ソーシャルメディアは人と人をつなぐためのツールだ」という、同じ起源の物語を信じ込んでいました。でも20年が経った今、それが全くの誤りだったと、集団的に気づき始めています」。そして、こう続けます。「ビッグテックの本当の狙いは、人々をつなぐことではありません。私たちを「コミュニティの一員」ではなく「孤立した個人」だと感じさせることで、利益を得ることなんです」。
オーストラリアでは16歳未満のSNS利用を禁じる法整備が進み、英国では学校でのスマホ規制が強まり、アメリカではMetaやGoogleのアルゴリズム設計の中毒性をめぐって責任を問う判決まで出てきました。
同時多発的に見えるこうしたニュースは、すべてその根っこで繋がっています。アルゴリズムがフィードを乗っ取り、AIスロップが数字を蝕み、その果てにプラットフォームそのものへの不信が噴き出す──これはバラバラの出来事ではなく、一つながりの大きな構造的な変化だということです。
それでも、SNSはやめられない
ただ、ここで話は終わりません。じゃあ私たちはSNSを捨てたのか、あるいは捨てるのか、というと、そういうわけでもないですよね。
GWIの調査によれば、世界の42%の人が、今もSNS経由で商品を発見していると答えています。SNSからの完全撤退なんて、現実には起きていません。ここで起きているのは、いわゆる「‘say-do’ gap(言行の不一致)」です。人は気候変動報道に疲れを感じながらも、企業にはエコであってほしいと願う。そういう、価値観と行動が一致しない現象は、昔からよくあることですが、SNSも今、同じ構造に入っているのかもしれません。プラットフォームへの信頼はどんどん失われているし、疲れてもいる。それでも生活のインフラとして使い続けてしまう。
ウォルトン自身も、「友人の多くはSNSを完全にはやめていない」と認めています。理想を言えばSNSから離れたい。でも、文化的な出来事も、イベントの告知も、仕事上のつながりも、そこを経由してやってくる。だから切れない。多くの人が、そういうアンビバレントな場所に立っているわけです。
そして、ブランドもまったく同じジレンマの中にいます。人が使い続ける場所で商品は売りたい。けれど、その場所にべったり寄りかかっているようには見られたくない。ここで問われているのは、「SNSをやるか、やらないか」ではありません。SNSの中で、どういう姿勢で現れるかです。
拡散を超えて、信頼をどう見せるか
答えを急ぐ前に、実際にブランド、特にファッションブランドがどう動いているか、いくつか覗いてみましょう。
先ほどのPuckの分析で、5年間を通じて安定してエンゲージメントを伸ばしていたMaison MargielaとSchiaparelliについて見てみましょう。おもしろいのは、この二つのブランドがSNSに対して似たような向き合い方をしていたことです。
ここで一つ、補足しておきたいことがあります。「エンゲージメント率」という指標だけ見れば、これはバズと同じ土俵の数字です。月ごとの動きだけを見れば、MargielaもSchiaparelliも当然上下していて、単発の投稿がスパイクのように跳ねている月もある。それ単体だと、正直バズと見分けがつきません。でも、Puckが分析していたのは、その5年分を通した「傾向」です。単発の跳ねではなく、5年という時間軸でならしたときに、どちらも時間とともに積み重なっていくような右肩上がりの傾きを描いている。ちなみにこれは、MargielaとSchiaparelliだけでなく、LoeweやMiu Miuなど、他のいくつかのブランドにも見られる傾向です。

Puck
では、MargielaとSchiaparelliは具体的に何をしていたのか。どちらも、クラフト、アトリエ、アーカイブ、制作工程、つまり「服がどう作られているか」「なぜそれに価値があるのか」を、ひたすら内側から見せていました。Schiaparelliにとって、セレブが着た一着やランウェイの様子は、あくまで入口にすぎません。そこからオリジナルのスケッチやパターンメイキング、縫製の細部へと視線を連れていく。Margielaは物理・デジタル双方でアーカイブを公開し、チームがランウェイへ向かう前にコレクションを丁寧に梱包するような地味な裏方の動きすら、ブランドの世界観として見せていく。

Puck
ここで起きているのは、単に舞台裏を見せることではありません。高級品の価値を、見た目だけでなく、工程と記憶と手間で説明し直しているんです。Puckの調査が示していたのは、まさにそこでした。いまの消費者は、遠目には本物そっくりなデュープ品にもすぐアクセスできる。だからブランドは、ただ美しいものを見せるだけでは足りない。「なぜそのジーンズに4桁ドルを払うのか」を、自分の言葉で証明しなければならない。
もう一つの方向性が、時間をかけて物語を語ることです。投稿の本数を絞り、その分じっくり時間をかけた長尺コンテンツに投資し直すブランドが増えてきました。長尺だからこそ語れるのが、ブランドや創業者が実際に生きてきた「来歴」に根ざした物語です。これは、AIには決して量産できません。
象徴的なのがJacquemusです。このブランドの「Le Valérie」というバッグには、創業者サイモン・ポート・ジャックムスが2008年に亡くした母、ヴァレリーの名前が冠されています。そのキャンペーンでは、女優シャルロット・ルボンを起用し、亡き母ヴァレリーを演じてもらいました。単なる商品名の由来として消費されるのではなく、創業者自身の記憶と喪失を、時間をかけたキャンペーンという形であらためて語り直しているわけです。
Coachもまた、短いフックを量産するのではなく、長尺のYouTube動画を通じて、若い世代が「自分の物語」をどう持つかに寄り添う方向へ舵を切っています。CoachのCMO、ジューン・シルバースタインはこう語っています。「私たちは「Retention」から「Relevance」へと軸足を移し、次世代にとって意味のある存在になることに注力しています。彼らは、ただマーケティングの対象として扱われるのではなく、ブランドの中に自分自身が映し出されているのを見たいと思っているんです。若い世代にとってブランドの意味やストーリーは、単なる広告的な飾り付けではなく、そもそも消費者がそのブランドを選ぶかどうかを決定づける、最も本質的な要素になっているんです」。
逆に、あえて「届きにくさ」を武器にするブランドもあります。Instagramから距離を取るBottega Venetaの姿勢は、「沈黙ですらポジショニングになりうる」ということを示しています。常に喋ること、常に投稿すること、常に文化に追いついているふりをすることは、もはや信頼の証明にならない。むしろ少し距離があり、少し簡単には消費できないことが、そのブランドの人格になっていく。
Kiko KostadinovがAsicsとのコラボで、コンセプチュアルアーティストのライアン・トレカーティンに大きく舵を預けた、あのシュールで混沌としたビジュアルも同じです。Asics側の担当者は、「私たちが関心を持っているのは、アルゴリズム向けに設計された瞬間ではなく、本当に注意を払う価値のある仕事をつくることだ」と言っています。
ブランディングスタジオBikiniの共同創業者サラ・マカルパインの言葉も、ここをよく言い当てています。「アルゴリズムの気まぐれに対して免疫を持てるのは、ブランドが何か本物に根ざしているときだけ」。誰からも好かれようとして、誰にでも届く言葉を薄くばらまくのではなく、「これは全員のためのものではない」と言えること。実はその排他性こそが、いまの時代にはむしろ強い引力になりうるわけです。
ここで起きているのは、KPIの静かな入れ替わりです。昔はリーチが正義だった。でも今は、どれだけ広く届いたかより、どれだけ信頼のあるかたちで届いたかが問われる。言い換えれば、ブランドは「どうやってバズるか」ではなく、「なぜ信じていいのか」を見せる仕事に移っているんです。
オフライン回帰:信頼を 、コンテンツではなく「場所」で示す
ただ、ここまで突き詰めると、ひとつ限界が見えてきます。どれだけフィードの中で本物らしさを演出しても、そこは結局アルゴリズムが支配する場所だ、ということです。だとしたら、一番強い信頼の示し方は何か。たぶんそれは、フィードの外に、実際に人が行ける場所を作ることです。
Miu MiuのLiterary Clubは、その象徴だと思います。Miu Miuは、学校制服や司書的な装い、ブルジョワ的ノスタルジー、少しぎこちない知性みたいなものを、一貫して自分たちの美学として育ててきました。その延長線上で、ミラノや上海でLiterary Clubを開き、実際に人が集まって話す場を作っている。これは単なるイベントではありません。ブランドの世界観を、現実の空間で経験可能にしているわけです。
Paloma Woolがバルセロナの旗艦店にギャラリーと書店を設け、District Visionがロサンゼルスの店舗に瞑想スペースを作ったのも同じ流れです。ブランドが売っているのは、もはや商品だけではない。そこに身を置いたときの感覚、スマホから少し離れた時間、そして「このブランドと一緒にどういう生き方をしたいか」という輪郭まで売っているんですね。

District Vision(Highsnobiety)
コンサルティングファームOffice of Applied Strategyのトニー・ワンは、こうした動きを「artisanal social media」、つまり「職人技のソーシャルメディア」と呼びました。Hermèsのように、少人数で、選ばれた顧客に向けたオフラインのプログラムを積み上げることも、その延長線上にあります。
バズの終わりと、信頼の始まり
Advertising Weekは、こうした動きを「Cultural Citizenship」、つまり「文化的市民権」という言葉でまとめています。ブランドに必要なのは、アテンションを奪う能力ではありません。ある文化圏に、意味のあるかたちで参加することを許される資格です。これはすごく大事な考え方で、要するに「大きな声で入ってくる」のではなく、「その場の文脈を理解し、価値を出し、ちゃんと住民として受け入れられる」ことが問われている、ということですね。
そう考えると、さっきまで見てきたことが一本につながります。MargielaやSchiaparelliのクラフトの可視化。JacquemusやCoachの物語化。Bottega Venetaの沈黙。Miu MiuやHermèsのオフラインの場づくり。やっていることは違って見えても、目指しているのは同じです。「このブランドはただ目立ちたいだけではない」「このブランドは、この文化にちゃんと住んでいる」──そう思わせること。そこに、2026年のブランド戦略の本当の争点があるんだと思います。
もちろんこれは、ファッションだけの特殊な話ではありません。信頼を積み上げること。アルゴリズムを超越しているように見えること。文化の中に住民として迎え入れられること──同じことが、他の分野でも起き始めています。実際、個人のクリエイターの世界では、フォロワー数の多さそのものよりも、どれだけ信頼を蓄積できているか、どれだけ自分の手元に資産を残せているかが問われるようになっている。スヌープ・ドッグが自身のレーベルを買い戻し、代表曲を「実際に飲めるジンのブランド」へと転換したのも、根っこは同じです。借り物の瞬間に賭けるのではなく、自分の手元に残る資産に賭ける、という選択です。でも今日は、その変化がいちばん早く、いちばん美しく、そしていちばん残酷に現れている場所として、ファッションを見てきました。
というわけで、今日の話をまとめます。バズは、もう価値の証明ではなくなりました。むしろ2026年のいま、アルゴリズムに最適化されすぎていること自体が、「ちょっと安い」とか「少し信用しにくい」というシグナルとして受け取られ始めています。これから大事なのは、拡散されることではありません。信頼され、意味のある文脈の中に、ちゃんと住みつくことです。
バズはもともと、誰かの熱量やアルゴリズムの気まぐれから、一時的に借りてきた炎のようなものでした。借り物である以上、それはいつか必ず消えます。でも信頼は違います。信頼だけが、時間をかけて、人が実際に居続けられる「場所」になる。この講義自体も、みなさんにとって、そういう場所の一つになっていければとおもいます。
では今日はこのへんで。お疲れさまでした!
🐏 Behind the Flock
“Sheepcore”で取り上げたテーマをさらに深掘りしたり、補完する視点を紹介します。群れの中に隠された本質を探るようなアプローチを志向しています。
1. 「職人技を見せる」戦略が支持を集める
過去5年間、20のラグジュアリーブランドのInstagram投稿を分析した結果、MargielaとSchiaparelliが例外的にエンゲージメントを伸ばし続けていることが分かった。両ブランドに共通するのは、職人技やアトリエ、アーカイブ、制作工程を前面に押し出す戦略だ。Schiaparelliはセレブの着用シーンやランウェイ作品を入口にしながら、原画スケッチやパターン制作、ネックラインの縫製といった細部まで見せる。一方Margielaは、実物とデジタル双方のアーカイブを公開し、ファンがフォルダ単位で内部資料を探索できるようにしたほか、ランウェイ前の梱包作業など舞台裏の物流プロセスまで動画コンテンツ化している。品質を見る目が肥え、精巧な類似品も簡単に手に入る現代の消費者に対しては、美しい商品を見せるだけでは不十分だ。なぜその一着に価値があるのかを、制作の裏側まで丁寧に語ることこそが求められている。
2. 「バズる」ことは過大評価されている
バズるかどうかより、コミュニティに本当の意味で招き入れられる「文化的市民権(Cultural Citizenship)」をいかに獲得するかが、2026年のブランド生存の鍵となる。無料の動画が巨額広告を上回る再生数を稼ぐ今、文化の主導権は生活者側に移っており、金で露出を買うのではなく、謙虚に耳を傾け参加する姿勢が求められる。Duolingoのようにファンの解釈を受け入れ共創へつなげた例が示す通り、マス訴求から小さなコミュニティとの関係構築へ、一方的なキャンペーンから共創へ、緻密な計画から即興的な遊び心へと発想を転換することが、一過性の熱狂ではなく長く続くブランドの価値を育んでいくのだ。
3. クリエイターエコノミーの未来は「バズ」では語れない
クリエイターエコノミーの焦点は、バズることから持続可能な事業構築へと移りつつある。VidConのパネルでは、AIとプラットフォームどちらが重要かという議論よりも、フォロワー数や視聴回数といった従来の指標を超え、ファーストパーティデータやIP、信頼といった事業基盤をどう築くかが焦点となった。AIは代替ではなくあくまで効率化の手段であり、電気のように裏側から全体を支える存在として捉えられている。フォロワー数より、実際に購買や登録へとつながる行動データこそが重視され始め、クリエイターは個人ではなく事業体として見られるようになった。Snoop DoggがGin and JuiceをブランドへとつなげたようにIPを資産化する発想も注目され、ハリウッドとクリエイターの境界も曖昧になりつつある。この流れの先には、「クリエイターエコノミー」という言葉自体が不要になるほど、あらゆる企業や個人がクリエイター的思考を持つ未来が予測されている。
🫶 A Lamb Supreme
The Rest Is Sheepsが日常で出会った至高(笑)の体験をあなたにも。
今週もお休みです 🐏
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