#059_Sheep ナイーブなインターネットの終わり

SNS全盛の時代、私たちは長く「フォロワー数こそが影響力の証」だと信じてきた。だが今、その価値観が静かに崩れつつある。『It’s Cool to Have No Followers Now(いまやフォロワーがいないことがクールだ)』という挑発的な言葉を手がかりに、フォロワー至上主義の終焉、メディアの戦略転換、そして「近接性」や「ポスト・ナイーブ・インターネット」といった新しい時代のキーワードを読み解く。数字よりも関係、拡散よりも深度──私たちは、「遠くの誰か」より「近くの誰か」と濃密につながる、ポスト・ソーシャル時代の新たなメディア環境への移行期を迎えている。

“The Rest Is Sheep”は、デジタル時代ならではの新しい顧客接点、未来の消費体験、さらには未来の消費者が大切にする価値観を探求するプロジェクトです。

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そんな思いで交わされた「楽屋トーク」を、ニュースレターという形で発信していきます。

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カルチャー、アート、テクノロジー、ビジネスなど、消費者を取り巻く多様なテーマをThe Rest Is Sheepのフィルターを通して紹介します。結論を出すことよりも、考察のプロセスを大切に。

ナイーブなインターネットの終わり

©️The Rest Is Sheep

はい、時間になりましたー。本日の授業始めていきましょう。

突然ですが皆さん、InstagramやXのフォロワー数って、気になりますか?気にしてるって方、手を挙げてみてください(笑)。どうでしょう?ええと、恥ずかしがらなくて大丈夫ですよ(笑)。

SNSが私たちの生活の中心を占めるようになってからもうだいぶ長い時間が経ちました。皆さんの中にも「物心ついた頃からSNS使ってます」なんて人も多いでしょう。

ちなみに、ザッカーバーグがFacebookを公開したのは2004年、もう20年以上も前です。Twitterが2006年、一周回って名前消えちゃいましたね(笑)──そう遠くないうちに「Twitterってなんですか?」なんて言い出す若者が登場するでしょう(笑)。Instagramは2010年、TikTokですら2016年なので、ローンチから10年近くが経っています。

この20年間、私たちはフォロワー数こそが影響力の証だと信じてきました。誰かのソーシャルメディアのフォロワー数が何百万だということは、その人に「影響力や時代的な存在感がある(signals of relevance or clout)」ということを意味したわけです。

でも、今月、カイル・チャイカは『The New Yorker』に書いた記事で、それを真っ向から否定しました。「It’s Cool to Have No Followers Now(いまやフォロワーがいないことがクールなんだ)」と。「いやいや何言っちゃってるんだよ」「フォロワーがいないやつがクールなわけないだろう」「逆張り?極端すぎるでしょ」なんて感じた方もいるでしょう。でも、今日はこの挑発的なタイトルの記事に脊髄反射する前に、一歩立ち止まって、チャイカが何を言おうとしたのか少し考えてみませんか?

この講義が終わった後、皆さんがチャイカの意見に完全に賛同しているかどうかはわかりません。でも、もしかしたら、SNSも含めた、もっと大きなメディア環境の変化や、私たち自身の新たな価値観の台頭について、あなた自身の考えを深めるヒントになるかもしれません。

The New Yorker

 

「フォロワー至上主義」の終わり

チャイカは、「「大量のフォロワーがいること」の意味が、ここ数年で完全に変わってしまった」と言います。

例えば、フォロワーが100万人いるアカウント。すごい数字ですよね。でも、その中身を覗いてみるとボット(自動プログラム)や放置されたアカウント、「嫌いだから監視してやる」っていうヘイトフォロワーまで混ざってたりする。あるいは、昔フォローしたまま放置しているだけのユーザーもたくさんいるでしょう。皆さんも思い出してみてください。最後にFacebookの友達リストを整理したり、Xのフォローを見直したのって、いつでした?

実際、フォロワー数が多いアカウントの投稿ほど、「いいね」やコメントといったエンゲージメントが低かったりします。つまり、「数」はあっても「熱」がない。それが、現在のSNSのリアリティです。

先ほど見た通り、SNSが私たちの文化を支配するようになってから既に10年以上が経過しているなか、巨大なフォロワー数を抱えるアカウントの多くは、過去の時代の名声を持つ人物の指標となっています。たとえば2010年代に創作のピークを迎えた音楽プロデューサー、ジャック・アントノフには50万人以上のXフォロワーがいます。それに対して、ここ最近高い評価を得ている新進気鋭のミュージシャン、ノーリッシュド・バイ・タイムのXのフォロワーはわずか3,000人強。膨大なフォロワー数を持つアカウントの多くはもはや最先端ではなく、「エスタブリッシュメント」、既成勢力だったりします。

さらに言えば、SNSそのものも変質しました。2010年代前半のSNSを駆動したのは、趣味や個人的な情熱でした。ところがいまやフォロー関係そのものが徹底的に商業化されています。

多くの人気アカウントは、アフィリエイトのリンクにあふれる場になり、オンラインショップへの誘導装置になり、企業のPR会場となりました。起業家であるサーリム・ザマンはこの状況を「いつの間にか、SNSの世界が全部「取引」みたいになってしまった気がする」と表現しています。すべてが商業と結びつき、収益を上げようとすることから切り離せなくなってしまいました。そんな空間で、純粋な「つながり」って言われても、なかなか難しいですよね。

いずれにしても、多くの場合、いま、膨大な「フォロワー数」がいるということは、人間の熱量という点ではほとんど意味を持たなくなってしまったわけです。

 

 

「少ないフォロワー」というステータス

こうした状況の帰結として、ちょっとおもしろい現象が起きています。

話題のニュースレター『Feed Me』のエミリー・サンドバーグが、最近発行されたレターのなかで、オンラインメディア『Air Mail』の新編集長ジュリア・ヴィターレを称賛していたんですね。その理由がユニークで、「彼女のプライベートのInstagramアカウントのフォロワーが500人未満なことを尊敬してる」って言うんです。これ、皮肉じゃないんです。

同じように、ファッション・ニュースレター『Blackbird Spyplane』のジョナ・ウェイナーは、スタイリストのロッタ・ヴォルコヴァを褒めています。彼女はMiu Miuなどを支える業界の鬼才で、Instagramのフォロワーはおよそ50万人。けれど投稿されるのは、川の風景や貸倉庫の列といった何気ない写真ばかり。しかも一日に何枚もアップする。投稿によって「いいね」が4,000つくこともあれば、200のこともある。

Instagram Post

ここで、さっき話したボットだらけのアカウントとの違いを明確にしておきましょう。フォロワー100万人でもエンゲージメントがほとんどない──それは「偽物の人気」です。フォロワーの多くが実体を持たない、熱のない幽霊のような存在だからです。

でもヴォルコヴァの場合はちょっと違います。彼女は、約50万人のフォロワーを持ちながら、その人たちを喜ばせるため、「いいね」を最大化するためにコンテンツを最適化することを、意図的に拒否している。バズりそうな写真を厳選して投稿する、というゲームに参加していないんです。投稿したいものを、投稿したいときに、投稿する。結果として、投稿ごとの「いいね数」はバラバラです。でも、その「現代的SNSマナー」への無頓着さがむしろ本物感を生んでいる。

普通なら「フォロワーが50万人もいるのに、「100いいね」しかつかないのは恥ずかしい」って感じそうなものです。実際、近年Instagramのエンゲージメント低下が可視化されるのを恐れてストーリーズしか使わなくなったり、「いいね数」を非表示にするアカウントも増えています。

けれどヴォルコヴァは「Who gives a f--k?(誰が気にするわけ?)」っていう態度。彼女は堂々と、思いつくままに投稿する。アルゴリズムなんて気にしない。ウェイナーはそれを「自信満々で(chadded)遠慮なく投稿する(gridflationary)スタイル」と評しました。

こうしたヴィターレやヴォルコヴァの姿勢に、いま新しいステータスが宿っています。オンライン上の成功指標を気にせず、自分のペースで発信できること。SNSで自分をどう見せるか」を常に意識する時代において「パフォーマンスしなくても生きられる自由」こそが、いま最も羨ましがられる資質なんです。

そして究極的には、フォロワーが少ないことは、その人がリアルな世界でちゃんと社交しているサインだとも言えます。オンラインではなくリアルを充実させる。SNSでは「映える」ものではなく、自分が見せたいものを自分で選ぶ。それは、他人の視線ではなく、自分のリズムで世界と関わっている証です。

これこそが、チャイカの言う「いまやフォロワーがいないことがクールだ」という言葉の意味なんです。それは、フォロワーを減らす勇気ではなく、自分自身の生き方の輪郭を取り戻す勇気なんです。

 

メディアの戦略転換と「近接性」

さて、ここで少し視点を広げてみましょう。実はいま見たような変化は、個人レベルだけの話ではありません。メディア企業そのものも、同じ波の中にいるんです。

SNS全盛のいま、メディアが抱えた最大の課題は「読者との関係を失ってしまったこと」です。読者はSNSやアルゴリズムの海に散り、誰がどの記事を読んでいるのか、メディア自身にもわからない。

自社よりもFacebookやGoogleのほうが、読者との接点を握ってしまったわけです。結果として、「誰がいつどんな文脈で読むのか」という最も重要な部分を、プラットフォームに明け渡してしまい、多くのメディアがそのアイデンティティを失っていきました

SNSでの拡散を前提にした「分散型メディア戦略」──YouTubeのように広告収益を共有する安定したプラットフォームで強力なコア読者層を築いたような場合を除いて──ほぼ失敗に終わっています。

象徴的なのが『BuzzFeed』です。かつてはSNS上で爆発的に記事を拡散させ、巨大なトラフィックを得ていました。けれども、流通の主導権を握るのは常にFacebookやTwitter側。アルゴリズムの仕様が変わるたびにアクセスは激減し、やがて勢いを失いました。結果、『BuzzFeed』というブランドは「どこかで聞いたことのある名前」のひとつとして埋もれてしまったのです。

いま、メディア企業は気づき始めています。「オーディエンスとの関係性を自分たちで所有しなければ、未来はない」と。

メディアアナリストのブライアン・モリッシーが最近、『Monocle』の創設者、タイラー・ブリュレをポッドキャストに招いて対談しました。『Monocle』は2007年の創刊以来、一貫して同じ戦略を続けている稀有な雑誌です。ブリュレが掲げるキーワードは「proximity(近接性)」──つまり「距離の近さ」

この「近接性」には三つの意味があります。第一に、読者との距離を縮めること。第二に、読者同士の距離を近づけ、コミュニティを育てること。そして第三に、ブランドや企業クライアントとの関係を密にすること。

『Monocle』はこうした「近接性」を軸に、自分たちの読者を深く理解し、複数のフォーマットでコンテンツを届けてきました。手触りのある豪華な紙媒体、デジタルラジオ、実店舗、そしてリアルイベント(カンファレンスみたいなものだけれど、もっとクールなやつ)。つまり、読者との接点をプラットフォーム任せにせず、自分たちで「所有」しているわけです。

こうした「近接性」の発想は、いま他のメディアにも広がりつつあります。SNS上のフォロワー数を追いかける「アルゴリズムのゲーム」から降り、ゆっくりとファンを集め、できるだけ深く、直接つながる方向へ。

たとえば『The New York Times』は2025年10月、同社アプリに新たに追加された「Watch」タブで、同社の記事や記者を起用した縦型動画の配信を開始しました──要するに「NYT版TikTok」です。ニュースも、クロスワードも、映像も──全部ひとつのアプリの中で完結する。「信頼できる情報源」としてのNYTに、私たちの時間と注意をもう一度集めようとしているんですね。

The New York Times

同様に、テック系メディア『The Verge』もウェブサイトを刷新しました。個々の読者に合わせたパーソナライズド・フィードや、特定トピックをフォローできる機能、さらにカスタマイズされたメールニュースレターを提供しています。単なるニュースサイトではなく、読者が『The Verge』をデスティネーションとして直接訪れ、「滞在したくなる」インタラクティブなプラットフォームへと進化させているのです。

これらの動きに共通するのは、SNSを通じたフォロワーの数という「横の広がり」よりも、エンゲージメントの深さ、つまり「縦の深さ」を重視する姿勢です。SNSでのフォロワー数ではなく、どれだけ深く関わってもらえるか。

滞在時間や購読頻度の増加は、メディアにとって読者との関係を強めるだけでなく、広告主への訴求力も高めます。同時に、読者にとってもアルゴリズムで次から次へと浴びせられ「何を読んでいるのか分からない」ソーシャルフィードより、「ここに来れば信頼できる情報がある」という安心を得られるわけです。

こうして、メディアの側も個人ユーザーの側も、「総フォロワー数」という空虚な指標よりも、小さくても濃密なオーディエンスを「集め、近くに留めておく」ことに価値を見出すようになった。

これが、いま進行している大きな変化です。SNSを介して「遠くの誰かに届く」より、「近くの誰かとつながる」──それこそが、ポスト・ソーシャル時代の新しいメディアのかたちなのです。

 

ポスト・ナイーブ・インターネットの時代

ここまで見てきたように、いま私たちは「(SNSを通じた)拡散の時代」から「近接の時代」へと移行しています。でも、その根底にはもっと深い変化があります。

Mozilla Foundationは、最近の論考で、この深い変化を「ポスト・ナイーブ・インターネットの時代(Post-Naive Internet)」と呼びました。ここでいう「ナイーブ(Naive)」とは、「純真すぎる」「世間知らずな理想主義」といった意味合いです。

かつて私たちは、「インターネットは自由で開かれた公共圏だ」と信じていました。好きなときに、好きなことを投稿し、誰とでもつながれる――そんな希望がありました。

しかし現実には、情報の流通を支配しているのはアルゴリズムであり、その背後には巨大プラットフォームの経済的論理がある。インターネットはもはや「自由の広場」ではなく、「管理された市場」になってしまったのです。

この現実は、次のような言葉で整理できます。

  • テクノ封建制(technofeudalism): Google、Meta、Amazon、TikTokなどの巨大テック企業が「領主」のようにプラットフォームを所有し、ユーザーはその土地(プラットフォーム)で活動する「小作人」のような立場

  • プラットフォーム採掘主義(platform extractivism):SNSの投稿や視聴行動が広告収益化の資源として搾取され、クリエイターは「無料の労働力」として扱われる。Spotifyでは何百万回再生されても、アーティストへの報酬はわずか

  • アテンション・エコノミー(attention economy):SNSや動画プラットフォームは、ユーザーの注意をいかに長く引きつけるかを競い、アルゴリズムは情報の質よりも「中毒性」や「感情の刺激」を優先する

私たちはいま、自由に投稿しているようでいて、実は「最適化された振る舞い」を演じさせられている――その構造に多くの人が気づきはじめました。

「インターネットは世界を良くする」というナイーブな夢は、もしかすると終わったのかもしれません。けれどその代わりに、もっと地に足のついた、新しい実践をするプレイヤーたちが登場しています。それが、ポスト・ナイーブ世代です。

この新しい世代のプレイヤーたちは、「万人のための理想のネット」を掲げて戦うのではなく、まずは自分たちのコミュニティとその具体的なニーズに根ざした「ミニバース(miniverse)」をつくろうとしています

Mozilla Foundation

たとえば、SubvertはZ世代のアーティストたちが自らの倫理観と価値観に基づいて作品を流通させる新しいアートプラットフォームを構築中です。Metalabelはクリエイターたちが「アルゴリズムではなく共感」でつながる新しい共同体経済のモデルを模索しています。そしてPerfectly Imperfectは、SNS文化へのアンチテーゼとして「完璧さよりも誠実さ」を掲げ、手作りの美学とオフライン的つながりを再評価しています。

それぞれが目指すのは、「次の大きなプラットフォーム」ではなく、「自分たちが息をできる小さな生態系」です。ポスト・ナイーブ世代は、壮大な理想を掲げる代わりに、手の届く範囲で「もう一度インターネットを人間のものにする」実験を続けているんです。

Perfectly Imperfect

さて、まとめていきましょうか。今日は、チャイカの「フォロワーがいないのがクール」っていう挑発的な言葉から始めて、SNSのフォロワー至上主義がどう変わってきたか、少ないフォロワーがもたらす新しいステータス、そしてメディア全体の戦略転換──「近接性」をキーワードに、読者やファンとの深いつながりを重視する流れ──を追いかけてきました。最後に、ポスト・ナイーブ・インターネットの時代として、テクノ封建制やアテンション・エコノミーみたいな構造に気づきながら、小さな「ミニバース」を作ろうとする新しい動きまで。

要するに、私たちはもう「SNSを通じた数字の大きさ」で影響力を測る時代じゃなくなってるんです。代わりに、本物の熱量、信頼できる近さ、そして自分のペースで世界と関わる自由──それが新しい「クール」の基準になってきています。SNSが商業化し、アルゴリズムに操られる中で、ヴォルコヴァみたいに「Who gives a f--k?」と堂々としてる人が輝くなんて、おもしろい現象ですよね。メディアも『Monocle』や『NYT』みたいに、プラットフォーム任せじゃなく、自分たちの庭でファンとつながろうとしてる。

というわけで、私もこれからこの講義の履修者数を追いかけるのはやめようと思います(笑)。「何人履修してくれてるか」とか「出席率どうかな」とか、気にするのやめます。そうじゃなくて、今日ここにいる皆さんとの「近接性」を高めていきたいですよね。数じゃなくて、質。広さじゃなくて、深さ。

……って言いたいところなんですけど、正直、来週の出席者数が半分になってたらやっぱりショックですよね(笑)。人間ですから(笑)。

まあでも、私も皆さんも、まだ「ポスト・ナイーブ」への移行期なんですよ。ちょっとずつ「数」の呪縛を緩めて、お互いの距離感を温かくしていけたら、きっとそれがこの時代らしい「クール」の形なんじゃないでしょうか。

というわけで、次の講義にもぜひ来てください(笑)。フォロワー数じゃなくて、近接性を高めるために(笑)。では、今日の講義はここまで。お疲れさまでした!

🎙️ポッドキャストはコチラ!
※ 生成AIが客観的な視点でレビューしています🐏🐕

🐏 Behind the Flock

“Sheepcore”で取り上げたテーマをさらに深掘りしたり、補完する視点を紹介します。群れの中に隠された本質を探るようなアプローチを志向しています。

1. 「いいね」を超えて──ロッタ・ヴォルコヴァ式「自由な投稿術」

ロッタ・ヴォルコヴァのInstagram投稿は、フォロワー数や「いいね」をまったく気にせず、一日に何枚も自由に投稿する大胆なスタイルだ。筆者はその姿勢を「chadded(自信満々で他人の評価に左右されない)」かつ「gridflationary(投稿をどんどん増やしていく)」と表現し、現代のSNSが求めがちな「慎重で映える投稿」へのアンチテーゼとして称賛している。彼女のようにアルゴリズムではなく自分の感覚で投稿することこそ、本来の自由な自己表現だ。

2. オーディエンスを取り戻す時代

ソーシャルメディア全盛期、メディア企業は読者との関係を失い、FacebookやGoogleに配信を支配された。その結果、BuzzFeedのように自らのオーディエンス基盤を築けず崩壊する例も生まれた。現在は、メディアが再び「自分の読者を持つ」段階へと移行している。NYTやThe Vergeは自社アプリやニュースレターを強化し、直接的で信頼できる関係を再構築している。『Monocle』が掲げる「proximity(近接性)」、すなわち読者やブランドとの密なつながりを重視する姿勢が注目されている。こうした動きは大手からインディーまで共通し、媒体が明確なアイデンティティを持ち、オーディエンスを「近くで」育てる時代への転換を示している。

3. ポスト・ナイーブ・インターネットの時代へようこそ

スターかつてインターネットは「自由で開かれた公共圏」として理想化されていたが、いまや現実は異なる。情報の流れを支配するのは巨大プラットフォームであり、私たちはその経済構造の中で「注意」と「データ」を搾取されている。Mozilla Foundationはこの状況を、technofeudalism(テクノ封建制)、platform extractivism(プラットフォーム採掘主義)、attention economy(アテンションエコノミー)として批判する。理想主義ではなく、現実を踏まえた「ポスト・ナイーブ・インターネット」への移行が始まっている。

🫶 A Lamb Supreme

The Rest Is Sheepsが日常で出会った至高(笑)の体験をあなたにも。

今週もお休みです 🐏

すべての誤字脱字は、あなたがこのニュースレターを注意深く読んでいるかを確認するための意図的なものです🐑

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