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#099_Sheep 意図的な遺伝子
朝起きてから眠るまで、すべての選択を「意図的(Intentional)」に行うことが美徳とされる時代。ヘイリー・ビーバーのスキンケアも、ファレル・ウィリアムスのボディローションも、いまや口を揃えてこの言葉を謳う。アルゴリズムから手綱を取り戻すためのサバイバル術として広まったこの態度は、いつしかブランドマーケティングにハックされ、あらゆる商品と選択の枕詞と化した。意味の摩耗、選択のパラドックス、そして「意図的な無意図」という逆説的な処方箋──言葉のインフレーションの奥に透ける、私たちの自己決定の行方を読み解く。


“The Rest Is Sheep”は、デジタル時代ならではの新しい顧客接点、未来の消費体験、さらには未来の消費者が大切にする価値観を探求するプロジェクトです。
役に立つ話よりもおもしろい話を。旬なニュースよりも、自分たちが考えを深めたいテーマを――。
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カルチャー、アート、テクノロジー、ビジネスなど、消費者を取り巻く多様なテーマをThe Rest Is Sheepのフィルターを通して紹介します。結論を出すことよりも、考察のプロセスを大切に。
意図的な遺伝子

©︎The Rest Is Sheep
はい、時間になりましたー。本日の授業始めていきましょう。
さて、早速ですが、最近皆さんはネットやSNS、あるいは日常の会話で、この言葉を目にしたり耳にしたりすること、ありませんか?「Intentional(インテンショナル:意図的な、意識的な)」という言葉です。
今、英語圏のSNS、特にアメリカのインスタグラム/TikTok文化圏では、この「Intentional」という一語が、ちょっとした社会現象と呼べるレベルで氾濫しています。
「Intentional Living(意図的な生き方)」、あるいは「Intentional Dating(意図的なデート)」、「Intentional Working(意図的な働き方)」……いまや私たちの生活のあらゆる局面にこの「意図的」という形容詞が覆いかぶさっています。ただ、……直訳するとちょっと不自然というか、そもそも何を「意図」しているのか、「意図する」ってどういうことなのか、ピンとこない方も多いんじゃないでしょうか。
今日はこの一見地味で、無害で、少し硬い響きを持つ形容詞、「Intentional」という言葉が爆発的に広がった現在地について探っていきたいと思います。
※ 生成AIが客観的な視点でレビューしています🐏🐕
何でも「Intentional(意図的)」な現在地
さて、「Intentional」。辞書的には「意図的な」「故意の」「意図して行われた」という、極めてシンプルな形容詞です。「不注意に」とか「うっかり」の反対語ですね。何かを「intentionally」やった、と言えば、それは偶然じゃなく、ちゃんと考えてやった、計画的にやった、という話です。別に新しい言葉でも、難しい言葉でもありません。
ところが、先ほどお話しした通り、英語圏のSNSやライフスタイルメディアを見ていると、ここ数年、この言葉がものすごい勢いで増えています。
Intentional Skin Care(意図的なスキンケア)
Intentional Coffee(意図的なコーヒーブレイク)
Intentional Breathing(意図的な呼吸)
……「意図的な呼吸」って何?と思いませんか(笑)?呼吸なんて、意図しなくても勝手にするものですよね。あるいはスキンケア。「うっかり肌に乳液が」なんてことあるわけがない。すべてのスキンケアは、どう考えたって「意図的」です(笑)。
まあこんな感じで、いまや「Intentional」が形容する対象は、散歩、筋トレ、映画鑑賞、古着屋巡り、食料品の買い出し、作り置き、トリビアゲーム、友達作り、友達との約束、ギター演奏、日記、口論、読書、思考、スクロール──ここまで来ると、もはや「人間の全活動」と言ってもいいレベルにまで広がっています(笑)。
もちろん私たちは、こうした行為を、特に特別な意識もせずに「ただやる」こともできるわけです。でも、「意図的にやる」こともできる。そしてその「ただやる」のと「意図的にやる」のとでは何かが違う、と考える人たちがいるからこそ、この言葉がこれだけ使われているわけですよね。
つまり、仕事が終わったら30分間「意図的に」リラックスし、入念に選曲したプレイリストを流しながら「意図的に」運動し、心と体を整えつつ太い前腕も手に入れられるエクササイズを「意図的に」選び、地元産の食材を使って「意図的に」夕食を準備する──こういう一日の過ごし方こそが、いまSNS上で「憧れの生き方」として提示されているわけです。
なぜ、いま「Intentional」なのか?
なぜいま、あらゆる日常の行動に「Intentional」というラベルが貼られ、憧れの生活であるかのように語られ、そして私たちはそれに惹かれてしまうのでしょうか。
その答えはシンプルです。私たちが「オートパイロット(自動運転)」の時代を生きているからです。
ヨガ・瞑想インストラクターのジャッキー・ガービーが、非常に象徴的な発言をしています。「暇なときについスマホを手に取ってしまうのって、すごく自然なことですよね。今の世の中って、頭の中でぐるぐる考えて、無意識のまま流されがちなんです。それって別におかしいことじゃないし、自然なことなんですけど、「意図的であること」を意識すると、そこから抜け出して、今この瞬間に戻ってこられるんです」と。
皆さんの日常を振り返ってみてください。朝起きて無意識にスマホを手に取る。TikTokやInstagramを開くと、超高度にパーソナライズされたアルゴリズムが、私たちの注意(アテンション)を1秒でも長く引き止めようと、中毒的なコンテンツを次から次へと流し込んできます。私たちが何を購入するか、何を食べるか、誰とデートするか、どのニュースを読むか、そうした日常の些細な選択のすべてが、テック巨大企業のKPIのために裏側で「自動操縦」され、誘導されているように感じます。
ちなみに、SNSやアルゴリズムが奪い合う「Attention(注意、関心)」と、いま私たちがそれに対抗して掲げようとしている「Intention(意図)」。スペルを見比べてみると、最初の二文字(at-/in-)が違うだけです。奪われる感覚を表す言葉と、それを取り戻そうとする言葉が、綴りの上でほとんど双子のような関係にあるというのは、なんとも示唆的にも聞こえますね(笑)。

Intention & Attention(Blackbird Spyplane)
……すこし脱線しましたが、こうした「オートパイロット」な環境の中で私たちが感じているのは、強烈な「主体性の喪失(Loss of Agency)」です。「自分の人生の手綱を、自分ではなくアルゴリズムに握られている」という小さな無力感の蓄積です。
だからこそ、「私はこのレコードを選び、自分で針を落として聴いている」「私はこのコーヒーを、意図を持って味わっている」と宣言すること。それは、アルゴリズム支配に対する個人のささやかな「サバイバル術」であり、抵抗運動だったわけです。
「私は流されていない。自分の意思で自分の人生を生きているんだ」という手応え──「コントロール感」を喉から手が出るほど欲しているのが、現代人のリアルな姿なんですね。
ここで重要なのは、この言葉がさきほど見たような単なる「行動の形容詞」にとどまらず、「私は自分の人生を、自分の意志で選び取っている人間である」という自己認識そのものを背負う言葉になっているという点です。「Intentional」であることは、もはや「やり方」の問題ではなく、「どういう人間か」というアイデンティティの宣言に近づいている。だからこそ、この言葉には妙な吸引力があるんです。
「Intentional」という言葉の旅路
ここで少し、この「Intentional」という言葉の歴史的なルーツをたどってみましょう。実は、この言葉が社会的ムーブメントとして使われたのは、実は今が初めてではありません。この言葉の最も強力なルーツは、1960年代から70年代にかけて起きたヒッピーカルチャーや「Back to the Land(大地へ帰れ)」運動にさかのぼります。
当時、郊外にマイホームを買い、住宅ローンを組み、大企業の出世競争という名のメインストリームな──オートパイロット的な──生き方に対して、明確な「ノー」を突きつけた若者たちがいました。彼らは都市を離れ、各地で独自の価値観のもとで共同生活を営むコミューンを作ります。それらは「Intentional Community(意図的共同体)」と呼ばれました。
彼らは、「資本主義のシステムに身を委ねるのではなく、自分たちの合意形成と意図に基づいて、ゼロからコミュニティを構築する」という非常に強い社会的・政治的な意図を持ってこの言葉を使っていたんです。

Intentional Community(The New York Times)
このカウンターカルチャーの言葉が、ビジネスの世界に足を踏み入れる、最初の小さな一歩となったのが2013年です。Appleが開発者向けに公開した広告「Intention」は、静かなピアノの旋律に乗せて、
もしみんなが
あらゆるものを作るのに追われていたら
完璧なものを作り上げることなどできるだろうか?
と問いかけ、
私たちが最初に問うことは人がそこから何を感じるか?
歓び 驚き 愛情 つながり
そして私たちは手を動かし始める その意図に沿って
というメッセージを打ち出しました。カウンターカルチャーの合言葉だったはずの「Intentional」が、ビジネスの美意識を語る言葉としても違和感なく機能する──そのことを、静かに証明してみせた広告でした。
それから半世紀以上が経った2026年現在、Instagram上で「#intentionalliving(意図的な暮らし)」と検索すると、360万件以上の投稿がヒットします。でも、そこに並んでいるのは、資本主義への抵抗の姿ではありません。映し出されているのは、美しく整えられた無垢材のテーブル、高級なブランドのセルフケア商品、そして「いかに自分のプライベート空間と時間をマインドフルに整えるか」という、徹底的に「個人化」され、「脱政治化」された内省的なセルフケアの風景です。
ちなみに、この「個人の中に閉じこもった意図性」は、おもしろいことに2つの全く異なるベクトルを内包しています。
一つは「スロー系」の意図性(Slowmaxxing)です。休日にあえてデジタルを断ち、部屋の照明を落とし、観葉植物に水をやり、時間をかけてコーヒーを淹れる。効率性を放棄し、感覚的な贅沢を噛み締める方向性です。もう一つは「ハック系」の意図性(5-to-9ルーティン/超最適化)。朝5時に起き、口にテープを貼って寝ていたのを取り、アイスバスに入り、サプリを飲み、1分単位でスケジュールを管理する。自分の体を極限までコントロールし、生産性を最大化しようとする方向性です。
一見すると、前者は「スローライフ」、後者は「生産性至上主義」で真逆に見えますよね。でも、本質はまったく同じです。どちらも「自分の生活の1秒たりとも、外部の力に脅かされたくない」「すべてを完璧にコントロール下に置きたい」という現代人の強迫観念の表れなんです。
商品になる「意図」
人びとは「自分で選びたい」と思っている。「アルゴリズムに流されたくない」と思っている。「大量消費に巻き込まれたくない」と思っている。「自分にとって本当に大切なものを選びたい」と思っている。こうした現代人の痛切な願いを、企業のマーケターたちが放っておくはずがありません。
ヘイリー・ビーバーのスキンケアブランド「Rhode」は、自社製品を「Intentionalなスキンケア&ビューティー・エッセンシャルズ」と謳っています。ケンダル・ジェンナーは、自身がモデルを務めるアパレルブランド「Alo Yoga」の哲学について、それが自分自身の生き方──「Intentionalであること、そして自分自身を内側からケアすること」──を映し出している、と発言しています。
そして極めつけはファレル・ウィリアムスです。彼が最近発売したボディスクラブとリカバリーローションギフトカードには、彼の手書きでこう添えられていたそうです──「このボディローションは、リカバリーのために、意図を持って作られました」。

Humanrace(Blackbird Spyplane)
「リカバリーのためのボディローションが、リカバリーの意図を持って作られた」。それはただの「仕様通りに作った」という当たり前の話で、トートロジーです(笑)。でも、この当たり前の商品に「Intentional」という神聖な調味料をひと振りするだけで、それは一気に「マインドフルで高尚な生活必需品」へと昇華され、高い利益を乗せて売ることが可能になる。これこそが、消費主義が「意図」をハックし、商業的な資産へと錬金するメカニズムなんです。
意味の空洞化
このように、あらゆる製品や活動に「意図的(Intentional)」という言葉が乱用された結果、何が起きているでしょうか。 言葉の「インフレーションによる意味の空洞化」です。
「Intentional」という言葉の本来の定義は、単に「誤って、あるいは偶然行ったのではない」という極めてニュートラルな状態を示すものです。でも今や、その言葉は「高度に洗練され、マインドフルで、注意深く、計画的で、非のうちどころのない完璧な生き方」という、非現実的なまでのユートピア的イメージを押し付けられた結果、その重みに耐えかねて崩壊しつつあります。
『Blackbird Spyplane』のジョナ・ウェイナーは、ファレルのボディローションの事例を引きながら、鋭い言葉でこの形骸化を批判しています。「現代において「自分の仕事はIntentionalである」と熱心に主張する人たちの言葉を聞くとき、私たちはむしろその真逆のものを感じ取ってしまう。それは一切の生命力を吸い取られた、お決まりのセールストーク(クリシェ)であり、目がうつろになった人間が語る、最も思考停止した押し売りなのだ」と。
ただ、ウェイナーがこの言葉にここまで苛立つのは、「意図的であること」そのものを否定しているからではありません。彼が長年、自身のニュースレターで一貫して重視してきたのは、小さな、あるいはそこそこ小さな規模で、創意工夫と思慮深さを持って活動する作り手たちへのリスペクトです。効率や利益率よりも、非効率であることを──それこそが彼にとっての本物の「意図性」の証だとして──優先する在り方こそ、彼が本当に大切にしてきた価値観なんです。
だからこそ、大量生産・大量消費のロジックのまま、その言葉の響きだけを都合よく借りてくる大企業の振る舞いに、強い違和感を覚えるわけです。本当に意図的な人ほど、SNSでわざわざ「私は意図的です」とは言わない、というのもまた事実なのかもしれませんし、「意図的」であることを言葉で主張すればするほど、それは「意図的にそう主張して、自分を良く見せようとしている」という欺瞞、パフォーマンスへと堕落していってしまうのかもしれません。
私たちは、「意図的なスキンケア」と「偶発的なスキンケア」の間に何の違いがあるのか、もはや説明できません。ただドラッグストアにふらっと立ち寄って、目についた化粧水を掴み取ることを避けるためだけに、何時間もレビューを読み漁り、「私は意図的にこれを選んだ」と自分に言い聞かせる。この言葉は、過剰な商業化のなかで、完全にその意味を剥ぎ取られ、中身がからっぽの「ハッシュタグ」へと形骸化してしまったんです。
「意図すること」の罠
ここまでは「Intentional」という言葉が、市場やSNSという外側の世界で、どう扱われ、擦り減ってきたかを見てきました。では視点を変えて、マーケティングの誘惑にはいっさい乗らず、純粋な気持ちでこの理想を実践しようとした個人には、いったい何が起きるのでしょうか。実はそこには、また別の罠が待っています。
皮肉なことに、意図的であろうとすればするほど、私たちは自分の選択に確信を持てなくなり、かえって幸福度が下がっている──『なぜ選ぶたびに後悔するのか(原題:The Paradox of Choice)』の著者、心理学者のバリー・シュワルツはそう指摘します。
現代社会は私たちに無限の選択肢を提供し、「さあ、意図的に最高の選択をしなさい」と強要します。どの食器洗い機を買うべきか、どの映画を家で観るべきか、今日何を食べるべきか。それらの些細な意思決定のすべてに「意図」と「熟慮」という知的・感情的なエネルギーを注ぎ込もうとすれば、私たちは選択そのものに疲れ果ててしまう。シュワルツの言う通り、「時間の使い方に対してとても意図的であろうとするあまり、結局は「時間をどう使うか」を考えることに時間を費やしてしまう」んです。
たとえば恋愛の世界──「Intentional Dating(意図的なデート)」──でも、同じような逆説が起きます。
マッチングアプリに疲れた人びとはいま、「自分の求める条件に完璧に合致する相手」を「意図的」に選ぼうとしています。デートの後に相手の印象をメモし、「友達バイブスだから絵文字は──ハートではなく──握手」といったルールを作って、条件に合わない相手を排除していく。
無駄な傷つきや時間を避けるための、とてもロジカルで「意図的」な振る舞いに思えますよね。でも、少し立ち止まって考えてみてください。私たちの文化がずっと大切にしてきた出会いの物語──運命の人との出会い、忘れられない友情の始まり──は、たいてい「まさかこんな形で出会うとは思わなかった」という偶然の中にこそ宿ってきたはずです。条件で相手をふるいにかける「意図的」な態度は、この偶然そのものを、入り口の段階で排除してしまう。

Dating in a Swipeless World(The New York Times)
シュワルツが指摘するように、「完璧な相手を意図的に探そうとすればするほど、目の前の相手と関係性を「育てる」という泥臭い努力をしなくなる」という罠にハマってしまうんです。結果として、ロマンスの奇跡や予測不能な出会いの喜び(セレンディピティ)は消え去り、残るのは「条件管理と査定」の虚しさだけになります。日常のあらゆる瞬間に「意図」と「コントロール」を求め続けることは、結局のところ、自分自身を「完璧なセルフ管理」という新たな監獄に閉じ込めることに他なりません。
アルゴリズムの自動操縦から逃れようとして「意図的」になったはずなのに、気づけば「完璧に意図的であらねばならない」という強迫観念に支配され、自分の選択にまったく確信が持てなくなっている。これこそが、現代人が陥っている「自己決定の空洞化」の正体です。
「意図的な無意図」を取り戻すために
長い旅路になりました。「Intentional」という言葉がたどってきた道のりを振り返ると、皮肉な二重構造が見えてきます。一つは、言葉が市場によって外側から空洞化していくプロセス。もう一つは、たとえ純粋な気持ちで実践しようとしても、意図すること自体が内側から私たちを追い詰めていくという逆説です。では、私たちはこの罠から、どうやって自由になればいいのでしょうか。
バリー・シュワルツは、魅力的な処方箋を提案しています。それが「Choose when to choose(いつ意図的になるかを、意図的に選ぶ)」という態度。逆に言えば、意図的に無意図になる──「意図的な無意図(Intentional Unintentionality)」──ということですね。
自分の人生における真に重要な決断──キャリアや生き方の軸──においては、思い切り「意図」を研ぎ澄ませばいい。しかし、それ以外の日常の小さな選択──聴くプレイリスト、散歩のルート、今夜の夕食、あるいは友人との無目的な雑談──においては、あえて自分の「意図」や「コントロール」を手放してみる。アルゴリズムに流されるのでもなく、かといって完璧に自分を管理するのでもなく、あえて「ラジオのDJ」に選曲を委ねるように、予期せぬ偶然や不確実性(セレンディピティ)を自分の人生に受け入れてみる。
「理由なんてないけど、なんとなくこうしてみた」──そんな余白を持てること。すべての行動に「意図」と「意味」を求めたがる消費主義に対して、この「意図のない無駄な時間」をおもしろがれる心の余裕こそが、私たちがアルゴリズムから本当の意味で自分自身を取り戻すための、もっともクリエイティブな抵抗になるのではないでしょうか。
本日の講義は以上です。今夜はぜひ、何の意味も意図もない、最高の無駄な時間をお過ごしください。お疲れさまでした!
🐏 Behind the Flock
“Sheepcore”で取り上げたテーマをさらに深掘りしたり、補完する視点を紹介します。群れの中に隠された本質を探るようなアプローチを志向しています。
1. いつから、すべてがこれほどまでに「意図的」になったのだろうか?
デート、運動、コーヒーを淹れることまで、あらゆる日常行動に「Intentionally(意図的に)」という言葉が付けられる時代になった。政治や巨大アルゴリズムに個人の選択が左右されがちな今、この言葉は自分で人生をコントロールしている感覚を取り戻す手段として広がっている。マッチングアプリ疲れから生まれた「インテンショナル・デーティング」や、朝の時間を規律正しく過ごす「5 to 9」ルーティンなど、使われ方は多岐にわたる。ヘイリー・ビーバーのRhodeやAlo Yogaといったブランドも、この言葉をマーケティングに取り入れている。起源は1960年代の共同生活「インテンショナル・コミュニティ」に遡るとされ、コロナ禍以降、特にZ世代を中心に使用が広がったようだ。ただし、どれほど意図的に生きようとも、失恋や病気、苦しみから完全に逃れることはできない。予測不可能な人生に対する安心感を求める心理を映し出しつつも、その約束すべてを果たせるわけではないという限界も抱えている。
2. 「意図的に生きる」という生き方は行き過ぎているのか?
SNSでは、日々の行動を「意図的」に行うことが理想とされ、休憩から運動、スキンケアまであらゆる場面で計画性が重視されている。混沌とした世界において、こうした姿勢は自分の人生をコントロールしている感覚を与えてくれる一方、常に意図的であろうとすると、時間の使い方を考えることに時間を費やしてしまう矛盾も生じる。高度にスケジュール化された生活は必ずしも心地よいとは限らず、とっさの出来事に対応する柔軟性を奪いかねない。ラジオでDJに選曲を委ねるように、あえて選択を手放し、即興や偶然に身を任せる時間も大切だ。歯磨きのような習慣は惰性に任せ、迷ったときは友人の意見に頼ればよい。むしろ、引っ越しや仕事選びなど本当に重要な決断にこそ力を注ぐべきであり、すべてに全力を注ぐ必要はない。大切なのは、意図的であるべき瞬間を見極め、それ以外はあえて計画せず成り行きに委ねる「意図的な無計画さ」を受け入れることにある。
3. 「意図的」に疲れたら
「意図的」という言葉が、運動からスキンケア、買い物に至るまであらゆる場面で使われ、その意味は薄れつつある。それでも、この流行には理由がある。日常の選択が個人の意志よりも政治的な力やアルゴリズムに左右されていると感じられる今、人は失われた主体性を取り戻そうとして「意図的」であろうとするのだ。この言葉が真に力を発揮するのは、自分が無意識に行動してしまっている領域に向き合うときである。時間の使い方はその一例だ。うまく管理できていると思い込んでいたが、実はぎりぎりまで先延ばしにする癖があり、それが常にストレスを生んでいた。自分の傾向を見つめ直し、意識的に新しい方法を試みることで、心にゆとりが生まれ、ストレスも和らいだ。言葉としては使い古されていても、こうした変化をもたらす力は確かにある。Will the Millennial Aesthetic Ever End?
🫶 A Lamb Supreme
The Rest Is Sheepsが日常で出会った至高(笑)の体験をあなたにも。
今週もお休みです 🐏
すべての誤字脱字は、あなたがこのニュースレターを注意深く読んでいるかを確認するための意図的なものです🐑
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