- The Rest Is Sheep
- Posts
- #034_Sheep エブリシング・エブリウェア・オール・オン・スクリーン(後編)
#034_Sheep エブリシング・エブリウェア・オール・オン・スクリーン(後編)
スクリーン上に集約された生活空間では、「遊び」と「労働」の境界が曖昧になる。SNSへの投稿や検索といった日常的な行動すら、見えない経済活動として機能してしまうのだ。無意識のうちに「働かされている」私たちの姿を、Amazon検索やInstagram投稿といった具体例をもとに可視化しながら、現代都市がいかにして「仕事」と「遊び」がグラデーションで重なり合う場所へと変貌したかを追う。「Everything Everywhere All on Screen」とは、都市の未来ではなく、すでに始まっている私たちの現在そのものである。

“The Rest Is Sheep”は、デジタル時代ならではの新しい顧客接点、未来の消費体験、さらには未来の消費者が大切にする価値観を探求するプロジェクトです。
役に立つ話よりもおもしろい話を。旬なニュースよりも、自分たちが考えを深めたいテーマを――。
そんな思いで交わされた「楽屋トーク」を、ニュースレターという形で発信していきます。
🔍 Sheepcore
カルチャー、アート、テクノロジー、ビジネスなど、消費者を取り巻く多様なテーマをThe Rest Is Sheepのフィルターを通して紹介します。結論を出すことよりも、考察のプロセスを大切に。
エブリシング・エブリウェア・オール・オン・スクリーン(後編)

©️The Rest Is Sheep
遊びと労働の曖昧な境界
ちょっと想像してみてください。朝、スマホでInstagramをチェックして、友達のカフェの投稿に「いいね!」を押す。日中はZoomで仕事のミーティング。夜はNetflixでドラマを観ながら、気になった商品をAmazonで検索、起きてる間、画面はずっとSNSといったり来たり。全部、同じスクリーンの上で起こっているんですよね。
仕事、勉強、遊び、買い物、友達とのつながり、情報収集——これらすべてが、スマホやパソコン、タブレットの「スクリーン」という一つの場所に集まっています。そして、この「すべての活動が一つのメディアに集まる」現象は、私たちの「仕事」と「遊び」の区別をどんどん曖昧にしていきます。
たとえば皆さんが日々経験しているこんなシーン:
シーン1:平日の昼休み、会社のSlackで同僚と雑談していたら、腰が痛くなってきた。で、Amazonで「エルゴノミクスチェア」を検索。結局買わなかったけど、10分くらい商品を眺めてた。
シーン2:週末、Netflixで観た映画がめっちゃ面白かったから、Xに「この映画、最高!あのシーンやばい!」って感想を投稿。誰かが「いいね!」やリポストしてくれた。
シーン3:友達と行ったカフェで、きれいなラテアートに感動して、スマホで写真を撮ってInstagramに投稿。「このカフェ最高!」ってキャプションつけたら、カフェの公式アカウントがリポストして、知らない人のタイムラインにも流れてった。
これ、全部「遊び」とか「息抜き」みたいな感覚でやってますよね?「仕事してるつもりなんてないよ!」って思いますよね。でも、企業やプラットフォームの視点で見ると、まったく違う景色が見えてきます:
Amazonの検索:商品を買わなくても、あなたが「検索した」という行動は「購買意欲」のデータとして記録されます。次にどんな広告を見せるか、どの商品を推すかを決める材料になるんです。
Xの映画レビュー:あなたの投稿が、誰かをその映画に興味を持たせたり、Netflixの視聴時間を増やしたりするかもしれない。プラットフォームの広告収入にもつながります。
カフェのInstagram投稿:あのラテの写真は、無料の宣伝になります。カフェに新しいお客さんを呼ぶきっかけになったり、店の知名度を上げたりします。

つまり、「遊び」とか「息抜き」のつもりの「気軽な行動」が経済的価値を生んでる。スマホやインターネットの時代だからこそ、こんなことが起こるんです。
これは、インターネットやスマホ以前の街での買い物——これも、「遊び」で出かけた際の買い物が消費という形で経済に貢献していますが——とは決定的な違いがあります。かつての行動は「その場限り」で、それが記録されたり、広く拡散されて、第三者の行動や意思決定に影響を与えることはほとんどありませんでした。例えば、1995年に喫茶店で友人とアイスコーヒーを飲んだとしても、その思い出はあなたと友達の間だけで完結します。誰か他の人がその喫茶店に行くきっかけになるなんてことは稀でした。
一方、今はどうでしょう?Instagramにラテの写真を投稿すれば、それが「レビュー」になったり、「おすすめ」として知らない人の目に留まります。さらに、そのデータはプラットフォームや企業に保存され、将来のマーケティングに使われます。あなたの行動が「見える化」され、「拡散」され、経済活動のための「資産として蓄積」されるんです。
お金を使わなかったことですら経済活動を駆動するきっかけとして機能します。あなたがAmazonで新しいスマホを検索したけど、結局買わなかったとします。それでも、その検索行動は「この人はスマホに興味がある」というデータとして記録されます。企業はその情報を使って、広告をパーソナライズしたり、商品の在庫を調整したりする。「ただ見ていただけ」の行動が、のちの企業の経済活動につながるんです。
私たちは、スクリーンの上で「遊び」ながら、知らず知らずのうちに「情報処理者」として働いています。こうした「情報処理の労働」は、給料をもらう仕事、あなたの本業とは違いますし、副業ですらありません。無意識で、無給で、契約もない。でも、経済的にはめっちゃ価値がある。これがあるからこそスマホ上の経済が回る。「仕事」と「遊び」の境界が曖昧になるんです。
なぜこんなことが起こるのか? それは、さきほど指摘した通り、あらゆる人のあらゆる活動がスクリーンに集まっているからです。昔は、仕事はオフィス、買い物は店、友達とのおしゃべりはカフェや家で、と物理的に場所が分かれていました。でも今は、全部がスマホやパソコンのスクリーン上で起こる。コンテンツは時間や場所を超えてどこへでも伝わります。
あなたが投稿したカフェラテの写真を、遠く離れたところに住むあなたの知らない誰かが検索して、ブックマークする——この「スクリーンの力」が、遊びと労働の境界を曖昧にする仕組みなんです。「ただスクロールしてるだけ」と思っていても、あなたは経済の仕組みに貢献している。悪いスクリーン(仕事や勉強)に向き合っている時だけでなく、良いスクリーン(SNSなど)に向き合って「遊んで」いるときですら、あなたは経済活動に貢献してる、あるいは、させられてるんです。
スクリーン時代の都市の姿
私たちの暮らしや仕事がスクリーンに吸い寄せられていくなかで、それを包む物理的な都市のあり方もまた、静かにかつ確実に変わりつつあります。もっとも、都市の変化は最近に始まったことではありません。少し時を巻き戻せば、20世紀後半以降、都市の中心部からは工場が姿を消し、郊外や海外へと生産拠点が移っていきました。こうして都市は「ポスト産業化」の時代を迎えます。工場の代わりに都市の主役に躍り出たのは「消費」でした。
そしてこの動きは、その後のインターネットやスマホの普及、そしてパンデミックでさらにもう一段階、新しい形態へと変化します。つまり、製造業などの有形の生産活動だけでなく、一部のホワイトカラーの仕事までもが都市の中心にあった物理的なオフィスから切り離されることになりました——ちなみに工場と違って、ホワイトカラーのオフィスが移動した先はデジタル空間です。
ホワイトカラーのワーカーにとって——彼らが永続的に、かつ完全にリモート、というわけではなかったとしても——通勤の重要度は相対的に低下し、都市に住み続けることは「ライフスタイルの選択」となります。都市に住むことに関して、たとえば、「いつでも美味しいカフェやレストランに行ける場所にいたい」とか、「文化イベントやアートが身近にある街がいい」とか、これまで以上にライフスタイルが重視されるようになります。これにより、都市はより一層「消費のハブ」としての役割を受け入れるようになります。
消費のハブとしての役割、遊びのための都市の役割が増大する都市の中で、オフィスから開放されたホワイトカラーのワーカーたちはリモートで仕事をします。ニューヨーク市を拠点とするライター、都市計画家(アーバンプランナー)、およびテクノロジー批評家であるDrew Austinさんは、これを「都市がWeWorkを裏返したような雰囲気になっている」と表現しています。

WeWorkって、仕事する場所だけどラウンジみたいにオシャレで、コーヒー飲みながらリラックスできる雰囲気ですよね。でも、今の都市では、そのWeWorkの構造や機能が「裏返し」になって拡街中に散して、消費や遊びの場であるカフェやジムや街そのものが、オフィスのように使われるようにもなった、ということです。ノートパソコンでいっぱいのカフェやワークスペースを備えたウェルネスインフラは、さっきインターネット上で見たのとまったく同じ「境界が曖昧になった仕事と遊び」を反映しているんです。
オンラインでは、仕事のメールを打ちながら、合間にXで投稿したり、Amazonで買い物したり、全部同じスクリーンでやってる。それと同じことが都市でも同じことが起きてるんです。カフェやショップは、仕事と遊びが混ざり合う「デジタル時代のハブ」になっています。
West Village Girlとポスト・ジェントリフィケーション
最近、ニューヨークのウエストヴィレッジが「West Village Girl」と呼ばれるインフルエンサー主導の現象によって、まるでSNS映えを最優先した「テーマパーク」のように変貌している、という記事が話題になりました。
白いタンクトップにサンバススニーカー、ピラティスや抹茶ラテといった健康志向、そしてSNS中心のライフスタイル。彼女たちは「自由に使える収入」を背景に、ブランドやトレンドを次々と消費しています。かつてこの街を特徴づけていたボヘミアンやゲイコミュニティが育んだ多様な文化は後退し、今やジェントリフィケーション(高級化)と商業化が一気に進行している、という指摘です。

The Cut
ここで描かれているのは、もはや珍しくもない「ジェントリフィケーション = 高級化」の風景です。でも注目すべきは、いま起きている現象が従来のジェントリフィケーションとは少し違う点です。
かつての都市のジェントリフィケーションは、まずアーティストやDJ、ミュージシャンが入り込み、「創造すること」が街の魅力をつくり出し、それが結果的に商業価値を高める、という流れでした。でも今のウエストヴィレッジには、その「創造する人」の姿があまり見えません。アートを作ったり、DJしたり、そのふりをしたりする人もいない。あるのは、「消費すること」それ自体が目的化した風景——ポスト・ジェントリフィケーションと言っても良いかもしれません——です。
そしてこの記事が皮肉を込めて指摘する「ウエストヴィレッジのテーマパーク化」は、まさに先ほど見たばかりの「消費が主役となる都市」、すなわちポスト・ジェントリフィケーションの象徴的な姿と言えるでしょう。
そしてさらに、ここで重要なのは──これまでお話してきた「スクリーンに集約された生活」との関連です。街で「消費」しているだけに見える人たちも、実は「見えない労働」をしています。カフェで撮った写真をInstagramに投稿すれば、それは店の無料宣伝になる。Xで「このバー最高!」と書けば、誰かがその店に行くきっかけになるかもしれない。先ほどお話しした「スクリーン上での行動が経済に貢献する」構造は、消費が目的化したウエストヴィレッジという街にきわめて端的なかたちで表出しています。
街を歩きながら、スマホで投稿し、レビューを書き、検索する──これらすべてが経済の歯車を回しています。昔の「街での遊び」は、その場限りの楽しさか、せいぜい翌日友達に話すくらいでした。でも、スクリーンが生活の中心になった今では、街でのあらゆる活動がスクリーンに回収されます。すべてがデジタルに記録され、拡散され、経済活動を駆動するデータになる街でラテの写真を撮ることは、もはやただの「遊び」ではなく、カフェのマーケティングに貢献する「労働」でもあるんです。
終わりに──スクリーンの向こう側にあるもの
さて、だいぶ長い話になりました(笑)。ここまで、デジタル時代がどうやって「仕事」と「遊び」の境界を曖昧にしてきたか、スクリーンや都市がその舞台になっているかを話してきました。最後に、今日の話を振り返ることにしましょう。
冒頭で、AirbnbのCEO、Brian Cheskyさんの言葉を紹介しました。「私の夢にはデバイスなんて出てこない」と。彼は、テクノロジーは道具にすぎず、大切なのはリアルな体験——街を歩いたり、人と出会ったり、旅をしたりすること——だと言いました。Airbnbは、私たちをスクリーンの外の「本物の世界」に連れ出すプラットフォームを目指してるんだ、と。素敵なビジョンですよね。
でも、私たちが今日見てきたのは、その逆説的な現実でした。「リアルな体験」を求めるために、私たちはスクリーンを必要とします。リアルな体験を求めれば求めるほど、リアルな体験をすればするほど、より多くの時間をスクリーンと向き合うことになる。友達との食事場所を決めるために、オンラインのレストランレビューに向き合う。カフェで友達とラテを飲みながら、ついスマホで写真を撮ってInstagramに投稿する。街を歩きながら、Xで「この店、最高!」ってつぶやく。リアルな体験を最大限に楽しもうとすると、なぜかスクリーンと向き合う時間が増えちゃうんです。
さらに、デジタルを使って効率化を追求するほど、空いた時間は別のスクリーンに吸い込まれていく。リモートワークで通勤時間がなくなった分、Netflixでドラマを見たり、Amazonで買い物したり。
そして、ついには物理的な街そのものが、スクリーン経済のなかに吸収される。カフェでノートパソコンを開いて仕事してる人も、隣でインスタ映えの写真を撮ってる人も、どっちも「スクリーンを通じて」経済の歯車を回してる——さきほどお話した「見えない労働」です。
さまざまなシーンで「リアルとデジタルの融合」が叫ばれて久しいです。でも、魚が水の存在に気づかないように、私たちはスクリーンに囲まれた生活に慣れすぎて、その仕組みが見えなくなってる。街を歩いてみてください。一見、ただのカフェ。ただの週末のブランチ。でも、その裏では、情報が流れ、価値が生まれ、経済が動いてる。あなたが投稿したラテの写真が、カフェの売上を増やしたり、誰かの次の週末プランを変えたりするかもしれない。
都市やスクリーンは、「仕事」と「遊び」がグラデーションで重なり合う場所になっています。表参道のカフェで、アペロールスプリッツを三杯飲んでほろ酔いになっている時間だって、スマホで撮った写真がバズれば、それは経済的な価値を生み出す行動になるかもしれない。私たちはいま、そんなふうに複数の意味が折り重なる空間を生きている——そして、気づかないうちに、その空間そのものが、まるでスマホのホーム画面のような「インターフェース」になっているのです
あなたが次にカフェでコーヒーを飲みながらスマホを手に取るとき、街を歩きながら何気なくXでつぶやくとき——その瞬間もまた、ただの「日常」ではなく、都市とスクリーンが織りなす巨大なネットワークの一部として、なにかを生み出しているかもしれません。
では、今日はここまで。長い長い授業、お疲れさまでした!
🎙️ポッドキャストはコチラ!
※ 生成AIが客観的な視点でレビューしています🐏🐕
🐏 Behind the Flock
“Sheepcore”で取り上げたテーマをさらに深掘りしたり、補完する視点を紹介します。群れの中に隠された本質を探るようなアプローチを志向しています。
1. ソーシャルメディアにおける無償労働
SNSプラットフォームの多くは、ユーザーによる「無償労働」によって成り立っている。ユーザーは報酬を受け取らずにコンテンツを投稿・拡散し、それによって企業はユーザーデータを収集し、広告収益を得て成長してきた。この構造を搾取と見る声がある一方、ユーザー自身も娯楽やつながり、自己表現の機会などを享受しているとの考え方もある。ただし、影響力のあるクリエイターたちが自由と引き換えに過剰な労働を強いられる実態もあり、「仕事」と「遊び」の境界が曖昧になっているのが現状だ。
2. CBD(Central Business District)の死と生
リモートワークの普及により、従来のようなオフィス集中型の機能は後退しつつあり、かつての「9時から5時」の一極集中型CBDは限界を迎えている。しかし、都市の中心に位置し、交通網や建築資源が整うCBDは依然として大きな可能性を秘めている。今後は、居住・労働・遊びが融合する「15分都市(15-minute city)」的な複合型エリアへの再構築が進むだろう。また、職場も単一のオフィスビルではなく、自宅・コワーキング・カフェなどをつなぐネットワーク型へと進化しつつある。オフィス回帰は一定数見込まれるものの、CBDの真の再生には、創造的で包括的な都市設計と多様な人々が交わる街づくりが求められる。
3. West Village Girlたちの華やかな日常
West Villageは、若い女性たちによってSATCのようなライフスタイルのテーマパークへと変貌した。インフルエンサーのMiranda McKeonは、TikTokやInstagramで100万人以上のフォロワーを持ち、ピラティスやフローズンヨーグルト、エスプレッソマティーニを楽しむ魅力的な生活を投稿している。地域は、SNSで繋がる同世代の女性たちで溢れ、統一感のあるファッションやライフスタイルが特徴で、パンデミック後、若い女性たちが流入し、ブティックやカフェが増加している。かつてのボヘミアンな雰囲気は薄れ、華やかな「女子大」のようなコミュニティが形成されている。
🫶 A Lamb Supreme
The Rest Is Sheepsが日常で出会った至高(笑)の体験をあなたにも。
「The Shoten」が提示する、商店街から生まれる次世代カルチャー🎧
朝の魚屋でテクノが響く?老舗喫茶店でDJセッション?一見ありえない組み合わせが、いま多くの人の心を掴んでいる。
話題の主は、日本の商店街を舞台にしたDJストリーミング「The Shoten」。手がけるのは大学生の金さん(韓国出身で日本育ち)と溝口さん(幼少期を米国で過ごした)のコンビだ。二人の国際的な目線だからこそ、商店街の魚屋や昭和な純喫茶の魅力を新鮮に切り取れるのかも。
実は彼ら、コロナ禍で青春を過ごした世代。従来のクラブの密な感じがちょっと苦手で、音楽でもっと「ゆるく」つながれる場所を探していたとのこと。赤羽の魚屋でのテクノや四ツ谷「喫茶ロン」でのセッション(なんと1カ月で2.5万回再生!)は、まさにその答え。
「誰でもできることなんです」と語る二人。再開発で消えていく商店を記録する意味もあって、Z世代らしい等身大の文化づくりを提案している。「ベルリンはまだ、貧しくセクシーか 」で次世代のナイトライフのかたちを模索する若い世代についても言及しましたが、日本の商店街の片隅でもその動きが確実に始まっている模様。興味津々です🐏
すべての誤字脱字は、あなたがこのニュースレターを注意深く読んでいるかを確認するための意図的なものです🐑
この記事が気に入ったら、大切な誰かにシェアしていただけると嬉しいです。
このニュースレターは友人からのご紹介でしょうか?是非、ご登録お願いします。
↓定期購読はコチラから↓