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#072_Sheep KのないK-pop
Netflix史上最大のヒットとなった『KPop Demon Hunters』。その熱狂の裏で、本家、韓国のエンタメ業界はいま、かつてない「構造的ひずみ」に直面している。K-popの美学やフォーマットは国境を越え、世界中で共有される共通言語となり、もはや韓国抜きでも成立する──いわば「脱領土化」が進んだ。一方で、NewJeansをめぐる法的闘争が象徴する創造性と効率性の対立、HYBEが掲げる「Kを外す」戦略、国内市場の空洞化、そして音楽的停滞といった問題が噴き出している。パロディが成立するほど成熟したK-popはいま、産業としての論理とアイデンティティ、そして創造性のあいだで引き裂かれている。グローバル化の成功が自国性の解体へと向かうとき、K-popはどこへ向かうのか。

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KのないK-pop

©︎The Rest Is Sheep
はいどうもどうも、ヨロブン アンニョンハセヨ!日曜22時、東京のどこかからお送りしております「The Rest Is Sheep」の時間です。あなたの幸せな週末が終わりを迎えようとしているこの憂鬱な時間帯、いかがお過ごしでしょうか?
いやいや『Golden』がグラミー賞取りましたねえ。最優秀視覚メディア楽曲──映画やアニメの主題歌に与えられるやつですね。皆さんご存知、Netflixのアニメーション映画『KPop Demon Hunters』の主題歌。
この作品はNetflix史上もっとも視聴されて、公開後3カ月で3億2,500万ビューを突破。主題歌『Golden』はBillboard Global 200で17週1位、サントラはBillboard 200で1位。世界93カ国でトップ10入り、ハロウィンの仮装も主人公のK-popガールズグループ「Huntr/x(ハントリックス)」一色と、まあ話題に乏しかった2025年のエンタメ界において一人気を吐いてた作品なわけですが、実はこの作品、韓国系カナダ人監督、マギー・カンが撮った米国製作の作品なんですよね。つまり、「韓流っぽいコンテンツ」ではあるけれど、韓国で作られたものってわけじゃない。
逆に言うと、韓流の美学、スタイル、世界観──それらはもうグローバルな「言語」になっちゃって、「韓国抜き」でも成立するようになってるってことなのかもしれません。前に「F1のK-pop化(K-popification)」なんて話もしましたが、「韓流」や「K-pop」がもうピュアな韓国のコンテンツを超えて広がってるわけです。
これは、ある種の「脱領土化(De-territorialization)」ですよね。かつてのK-popは、韓国という場所で、韓国の資本と才能によって生み出されるものでした。でも今は違う。サウンドやビジュアル、世界観といった「スタイル」そのものが、韓国という母体から切り離され、誰もが使える共通言語、あるいはOSのような存在になっている。
これ、もう「K-popの完全勝利」って言っちゃって良いのかもしれませんね。韓流スタイルは世界中が模倣するほど影響力を持ち始めちゃった、と。今回のグラミーは、K-popがサウンド、スタイル、環境として普遍的に受け入れられたことを明確に示したようにも見えます。
さて、今日は、そんな「K-popの現在地」について改めて掘り下げていきたいと思います。表面的には絶好調に見える韓国エンタメ産業ですが、実はその足元では、成長に伴う構造変化が起きてるんです。では、本日の「The Rest Is Sheep」スタートです!
♪ 番組ジングル
NewJeansが映す産業の矛盾
さてさて、『KPop Demon Hunters』が象徴するように、2025年は表面的にはK-popというフォーマットが史上最高の認知を得た年だったと言えるんじゃないでしょうか。でも、一方では、K-pop業界そのものが深刻な構造的問題と向き合わざるを得なくなった年でもあったんです。
その象徴が、皆さんご存知、「NewJeans(ニュージーンズ)」をめぐる泥沼の闘争です。
2022年に彗星のごとく現れた彼女たちは、これまでの「バキバキに作り込まれた」K-popへのアンチテーゼのような、軽やかでノスタルジックな音楽性で世界を虜にしました。デビュー2年で所属レーベルADORにもたらした売上は約1,100億ウォン。親会社HYBEの急成長を牽引する存在でした。
ところが2024年、グループの生みの親であるADORのCEO、ミン・ヒジン氏の解任をきっかけに、事態は一変します。NewJeansのメンバーたちは、契約違反だとして「契約解除」を求めて戦いましたが、2025年10月、韓国の裁判所はその訴えを退け、契約の有効性を支持しました。その後、メンバーのうち2人が事務所に戻り、残りの3人も戻る意向を示しているものの、グループとしての完全な再始動はまだ不透明なまま。彼女たちの契約は2029年まで。あと4年間、縛られ続けることになります。

NewJeans(Wikipedia)
この一連の出来事が浮き彫りにしたのは、「誰が正しいか」という話じゃないんです。もっと構造的な問題なんですよ。K-popは、完璧さと効率を極限まで高めることで、世界を獲った。でも同時に、そのシステムの中で、予測不能な創造性は「リスク」として扱われるようになります。
NewJeansは、その矛盾がたまたま一番わかりやすく表に出たケースだった、そう言えると思います。一曲いきましょうか。
♪ NewJeans "Ditto"
『KPop Demon Hunters』が描くK-popの本質
さてここでもう一度『KPop Demon Hunters』の話に戻りましょう。
この作品、一見するときわめて軽やかな娯楽作品です。きらびやかなステージ、キャッチーな楽曲、完璧に同期したダンス。物語の主人公は、架空のK-popガールズグループ「Huntr/x(ハントリックス)」。彼女たちは歌とダンスの力を武器に、人間の魂を狙う魔物「デーモン」と戦い、世界──つまり「ファン」を救う使命を帯びています。
で、敵として立ちはだかるのが、圧倒的な人気を誇るライバルK-popボーイズグループ「Saja Boys(サジャ・ボーイズ)」。実は彼らはデーモンと契約した存在で、その人気と完成度は、人々の魂と引き換えに得られたものだった──っていう設定なんですね。
ここまで聞けば、典型的な勧善懲悪のファンタジーですよね。そのように見た方も多いでしょう。でも、この物語が本当に興味深いのは、「誰が悪魔と契約しているのか」っていう問いが、決してフィクションの中だけで完結していない点なんです。
というのも、『KPop Demon Hunters』における「デーモン」って、外部から侵入してきた異物じゃないんですよ。彼らは、より完璧なステージ、より熱狂的なファンダム、より効率的な成功を求める過程で、システムの内側から生まれた存在として描かれてる。
Saja Boysが契約した悪魔とは、言い換えれば──
人気を最大化するための過剰な管理
成功と引き換えに差し出される主体性
ファンの期待に応え続けるための自己分断
その総体なんですね。
彼らは悪意をもって世界を滅ぼそうとしているわけじゃない。むしろ「ファンのため」「成功のため」「愛され続けるため」という、もっともらしい理由の積み重ねの末に、魂を差し出してしまった存在として描かれます。
で、ここで重要なのが、Huntr/xが純粋に「清らかな存在」として描かれているわけではないという点です。彼女たちもまた、Saja Boysと同じ産業のルールの中で戦っている同類で、違いがあるとすれば、どこまでを差し出し、どこで踏みとどまるかというグラデーションの差にすぎません。

KPop Demon Hunters(Netflix)
そして、『KPop Demon Hunters』がさらに鋭いのは、ファンダムの描き方です。
ファンは、疑いようのない忠誠心と善意の源泉として描かれます。彼らは世界を救う力にもなれば、魂を吸い上げる装置にもなり得る。Saja Boysの人気は、デーモンの力だけで成立してるんじゃない。ファンの「信じたい」という欲望が、その力を増幅させてるわけです。
これは現実のK-popにも通じます。大衆メディアは、最も熱狂的で、最も貪欲な消費者としてのファンダムに最適化されることで、次第にその感覚を鈍らせていく。
何が健全で、何が行き過ぎているのか。誰が守られ、誰が消耗しているのか。その判断は、「応援している」という感情の名の下で、簡単に曖昧にされてしまうんですよね。
NewJeansの闘争も、この構図と重なります。アーティストの創造性を守ろうとする意志と、産業としての効率を優先するシステム。その対立が、どちらが正しいかという単純な話じゃないことを、『KPop Demon Hunters』は寓話として、NewJeansは現実として突きつけたんです。
♪ Wendy "Sunkiss"
業界の新戦略:「Kを外す」という選択
で、おもしろいのが──あるいは皮肉なのが──業界のトップたちは、こうした矛盾を抱えたまま、さらにギアを上げようとしてるんですよね。彼らは、立ち止まるどころか、K-popという枠組みそのものを組み替えようとしています。
HYBEの創業者、パン・シヒョクが掲げたのが「K-popからKを外す」という戦略です。これは挑発でも自己否定でもありません。K-popを「韓国という国に紐づいたジャンル」から、「グローバル市場で通用する制作システム」へと再定義しようということなんですね。
その象徴が、Geffenと組んで結成した「Katseye(キャッツアイ)」でしょう。ロサンゼルスでトレーニングを受け、英語で歌い、メンバーの国籍も文化的背景もバラバラ。もはや「韓国の音楽」という定義は通用しません。HYBEが輸出しようとしているのは、音楽やビジュアルだけじゃない。練習生システム、ファンダム運営、音楽・映像・SNSを束ねる設計思想──つまり、K-pop的ノウハウそのものです。
「Kを外す」とは、「韓国製であること」よりも、「K-popの方式」を輸出可能なプラットフォームに変えるってことを意味してる。

Katseye(The New York Times)
でもここで疑問が湧きませんか?なぜそこまでして、自分たちのアイデンティティとも言える「K」を手放そうとするのか?
実は今、韓国のエンタメ業界は、私たちが想像する以上に追い詰められてるんです。
まず数字から見てみましょう。フィジカルアルバムの売上は2024年に19.5%減少。1億1,520万枚から9,270万枚へ。これ、10年ぶりの減少なんですよ。
「でも、アルバムなんて今どき誰が買うの?」って思いますよね。ところがK-popでは、フィジカルアルバムは単なる音楽媒体じゃない。限定版トレカ、特典フォトカード、ファンミ応募券──コアファンにとっての「推し活」そのものになってる。
だからこの数字は、韓国国内のK-popへの関心が、一般層から急速に失われていることを意味します。
業界は「コアファンへの極端な最適化」を進めてきました。もはや「お茶の間で誰もが口ずさむヒット曲」を作るんじゃなくて、ごく一部の熱心なファンに何枚もアルバムを買ってもらい、高額なツアーを支えてもらうモデルに振り切った。
一見、理にかなったビジネスに見えますよね。でも、この「スーパーファン特化モデル」が過剰に加速した結果、何が起きたか。
アリゾナ州立大学の韓国学教授、チョン・アルムさんはこう分析してます。「K-pop企業は、コアファンダムのニーズに応えることに特化した結果、より広い一般層への訴求力を失ってしまった」──そしてさらに、Saja Boysの人気を支えたのは誰だったかを、思い出してください。
実際、コンサート収益は伸びてるんですよ。でもこれは、一部のスーパーファンに依存するモデルになってるってて、BTSやBLACKPINKみたいな、本当に世界中の幅広い層を魅了するような現象を生み出しにくくなってる。
そしてもう一つ、深刻な問題があります。音楽的な停滞です。
The New York Timesでも指摘されてましたけど、Stray Kids、Twice、Enhypen、Seventeenといった商業的に成功してるグループの音楽が、どんどん画一的になってきてる。
なぜか?大手企業がリスクを取らなくなってるからです。実証済みのフォーミュラを繰り返すだけ。EDMビート、ラップパート、キャッチーなフック、完璧な振り付け──確かに完成度は高いけど、サプライズはない。驚きがない。そして何より、個性がない。
つまり、韓国国内市場は縮小し、音楽は停滞し、ファンダムは先鋭化している。業界が「Kを外す」という賭けに出た背景には、こうした切迫した事情があるわけです。
ここまでは、ある意味、すごく合理的な話なんですよね。問題は、その先です。
Kを外すことのジレンマ
「Kを外す」戦略には、どうしても避けられないリスクがあります。
ひとつ目は、差異化の喪失。K-popがここまで世界を惹きつけた理由は、完成度の高さだけじゃなく、「韓国という外部性」をまとった独自の文化的文脈にありました。それが単なる「洗練された制作方式」に抽象化されすぎると、他国のポップ産業との違いが見えにくくなる。
ふたつ目は、ファンダムの問題です。多くのK-popファンは、音楽だけでなく、「韓国文化とつながっている感覚」そのものを愛してきました。「Kを外す」ことは新しい入口を広げる一方で、既存ファンの帰属意識を静かに削いでいく可能性もある。
そして三つ目が、文化的評価のジレンマ。自ら「K」を脱色していく姿は、「グローバルでの人気獲得のために韓国文化を踏み台にした」という批判も呼びかねない。成功した文化輸出が、逆説的に自国性の解体へ向かう──まさにその矛盾です。
パン・シヒョクの「K-popからKを外す」という発言は、単なる挑発じゃなく、産業的選択を端的に表した言葉です。それは、K-popを国名付きジャンルから、グローバルに再生産可能な文化システムへと進化させようとする試み。
でもそれは同時に、「K-popはどこまでK-popであり続けられるのか」という、答えのない問いを突きつけているんです。
K-popはどこへ向かうのか
さて、そろそろ番組も終わりの時間です。
今日は、K-popの現在地について、いろいろと掘り下げてきました。NewJeansの闘争、『KPop Demon Hunters』が描いた寓話、そして「Kを外す」という業界の戦略的な賭け。一見すると別々の話に見えますが、これらすべてを貫いているのは、実はひとつの問いなんです。
K-popという文化は、成功と引き換えに何を差し出してきたのか。
『KPop Demon Hunters』の中で描かれる「契約」は、特別な悪意から始まるものじゃありません。「もっと成功したい」「もっと完璧なステージを届けたい」「もっとファンを熱狂させたい」。そのために管理を少しずつ強化し、自由を制限し、個人よりもシステムの最適解を優先していく。
そうした「成功のための合理的な選択」を積み重ねた先で、気づけば「魂と引き換えに成功を得る」という契約が、いつの間にか成立してしまう。誰かに騙されたわけでもなく、成功を追い求めた結果、差し出すものが増えすぎてしまった──。それが、この物語が示唆する「契約」の正体でした。
だから、Huntr/xとSaja Boysの違いは、善と悪の対立じゃありません。違ったのは、「どこまで差し出すことができるか」という、その線の引き方だけでした。劇中のライバルグループ、Saja Boysは、成功を確実なものにするために、管理と効率を優先しすぎた。一方で主人公のHuntr/xは、同じ産業にいながら、すべてを差し出す一歩手前で踏みとどまった。
つまり、悪魔は外から来た敵じゃない。成功を求める過程で自分たち自身が生み出し、便利だからと使い続けてしまった「仕組み」そのものだった、というわけです。
NewJeansの現実も、まさに同じ構図の中にあります。
K-popという産業は、もともと「爆発的な創造性」と「徹底した再現性」という、相反する二つの欲望をひとつの契約として抱え込んできました。成功があまりにも大きくなり、利害が肥大化したことで、その内側にあった矛盾が、現実の摩擦として表に噴き出してきたわけです。NewJeansをめぐる対立は、誰かが間違ったというより、当初からK-popが結んでいたその契約のギャップが、ついに限界点に達した証なのかもしれません。
そして今、そこにもう一つ、大きな選択が重なっています。それが「Kを外す」という賭けです。
K-popはこれまで、言語や訓練システムといった「韓国性(K)」を核に据えることで、他に代えのきかない差異を生み出してきました。ところが今、さらなる成長のために、その核であるはずの「K」すらも相対化しようとしている。
これもまた、外から強いられた変化じゃありません。自らの成功を最大化しようとする過程で突き当たった、必然的な選択肢なんです。完全に「K」を脱色することもできないし、かつての形のまま守り続けることもできない。そのグラデーションの中で、どこまでを差し出し、どこを引き受け直すのか。その「線の引き直し」こそが、いまのK-popに突きつけられた課題です。
でもここで、改めて思うんです。冒頭でお話しした『KPop Demon Hunters』の成功って、実はものすごく象徴的だなと。
この作品がここまでヒットした理由のひとつは、K-popを「優しくパロディ化」できたからなんですよ。善と悪の対立をK-popグループ同士の戦いに見立て、ファンダムの熱狂を世界を救う力として描く。同時にまた、その構造が持つ危うさも、寓話として描ける。
こういうパロディが成立するのは、K-popがもはや世界中で説明不要の共通言語になったからです。あまりにも巨大になり、成功モデルが共有され、矛盾ですら物語として描ける段階にまで達してしまった証拠なんです。でも、皮肉なことに、その「優しいパロディ」は、NewJeansの訴訟という現実によって、フィクションのままではいられなくなりました。

KPop Demon Hunters(Netflix)
そして2026年、K-popには最大の「問い」が戻ってきます。BTSの完全体での復活です。
彼らが戻ってくる場所は、2022年とはまったく違う景色になっています。より巨大で、より効率的で、そして、より多くの矛盾を抱えた産業。BTSが何を歌い、どんな姿を見せるのか。それは単なる復帰ではなく、K-popという文化がこれから先、どんな契約を更新し、どんな「悪魔」と距離を取り直すのかを映し出す鏡になるはずです。
もしかしたら、第三の道があるのかもしれません。Kを脱色するのでも、神話化するのでもなく、変わり続けることそのものを引き受けていく道が。
答えはまだ、誰にもわかりません。でもその答えを探す過程こそが、これから先のK-popの姿を決めていくんでしょうね──今日は、そんなお話でした。
それではまた来週。アンニョンヒ ガセヨ!
♪ Huntr/x "Golden"
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※ 生成AIが客観的な視点でレビューしています🐏🐕
🐏 Behind the Flock
“Sheepcore”で取り上げたテーマをさらに深掘りしたり、補完する視点を紹介します。群れの中に隠された本質を探るようなアプローチを志向しています。
1. 『KPop Demon Hunters』の主題歌「Golden」がグラミー賞受賞
Netflix史上最も視聴された映画『KPop Demon Hunters』は、主題歌「Golden」が第68回グラミー賞で〈最優秀視覚メディア楽曲〉を受賞した。サウンドトラックは累計100億回超再生を記録し、Billboard Hot 100で同時に4曲がトップ10入り。劇中ガールズグループHuntr/xの楽曲は、希望に満ちたポップから内省的な告白へと展開し、主人公ルミの「願い」を象徴する楽曲として物語の核を担う。本作はゴールデングローブ賞、クリティクス・チョイス・アワードでも高評価を受け、アカデミー賞にもノミネートされている。
2. 2025年、K-popは自らの「デーモン」と戦った
2025年のK-popは、世界的成功と内部の亀裂が同時に露呈した年だった。Netflix映画「KPop Demon Hunters」が史上最も視聴された作品となり、その楽曲がチャートを席巻した一方で、業界の革新的グループNewJeansは所属レーベルAdorとの法廷闘争に巻き込まれ、創作活動を制限された。K-popは30年以上の歴史を持ち、過去10年で世界的に影響力を拡大してきたが、大手エンターテイメント企業による管理体制と芸術的自由の間に緊張が生じている。現在のK-POPは、BTSの復帰を待ちつつも、既存の成功モデルが限界を迎えた「飽和期」にある。
3. 韓国映画産業とK-popの危機
韓国のエンターテインメント業界は、世界的な成功の裏で深刻な構造的危機に直面している。映画界では観客数が2019年比で45%減少し、制作費の高騰や配信プラットフォームへの人材流出により、多様性を支えた中規模作品が消滅しつつある。一方、K-popもアルバム売上が10年ぶりに減少に転じ、一部の熱狂的なファンに依存するビジネスモデルへ移行したことで、大衆性や新規性の喪失が懸念されている。さらに、韓国発の文化要素が海外資本でコンテンツ化される「脱領土化」が進み、国際的な競争も激化。政府は巨額の投資計画で立て直しを図っているが、輸出や拡大を優先するあまり、成長の源泉であった国内の創造的基盤が揺らいでいる。
🫶 A Lamb Supreme
The Rest Is Sheepsが日常で出会った至高(笑)の体験をあなたにも。
今週もお休みです 🐏
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