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#040_Sheep 匿名性というラグジュアリー(後編)

「見せない美学」を貫いてきたThe Rowは、ロゴを排し、語らず、ただ上質な素材と緻密な設計に宿る価値を信じ続けてきた。その姿勢は、Quiet Luxuryという新たな価値観の象徴として、現代のファッションシーンで確かな地位を築いた。しかし、Margauxバッグの爆発的ヒットやSNSでの拡散により、「静けさ」にもいまや熱狂が押し寄せている。トレンドの過剰な可視化が始まるなかで、The Rowは新たな岐路に立たされているのだ。だが、それは変質ではなく、深化のチャンスでもある。セレブリティとしての人生を「語らない創作」へと昇華させてきたオルセン姉妹。その軌跡が、静けさの先にある新たなラグジュアリーの可能性を照らし出す——。

“The Rest Is Sheep”は、デジタル時代ならではの新しい顧客接点、未来の消費体験、さらには未来の消費者が大切にする価値観を探求するプロジェクトです。

役に立つ話よりもおもしろい話を。旬なニュースよりも、自分たちが考えを深めたいテーマを――。

そんな思いで交わされた「楽屋トーク」を、ニュースレターという形で発信していきます。

🔍 Sheepcore

カルチャー、アート、テクノロジー、ビジネスなど、消費者を取り巻く多様なテーマをThe Rest Is Sheepのフィルターを通して紹介します。結論を出すことよりも、考察のプロセスを大切に。

匿名性というラグジュアリー(後編)

©️The Rest Is Sheep

The RowとQuiet Luxuryの共鳴

メアリー=ケイトとアシュレーが作り上げたThe Rowは、この時代精神を完璧に体現していた。

創業当初からThe Rowが掲げていたのは、「時代を超えるワードローブの創造」という一貫した美学だった。ロゴを排し、装飾を削ぎ落とし、素材の質とカットの美しさに全てを賭ける。そこには「注目されないこと」をむしろ贅沢とする、逆説的な価値観があった。

他ブランドが毎シーズン「イット・バッグ」や「ヒーロー・アイテム」を打ち出し、視覚的インパクトや消費欲を煽る中、The Rowはそのようなテンプレートに背を向ける。流行を追わず、過剰に語らず、ただ静かに「本当に良い服とは何か」を問い続けた。

The Rowは2010年までランウェイショーを一切行わず、2017年になってようやく初のプリント広告を『Vogue』誌に出稿した——Vogueの125周年を記念して制作されたものだったが、他のブランドやデザイナーたちが華やかで感傷的な祝福のメッセージを寄せる中、The Rowは一貫した美学「Less is more」を貫いている。

The Row初の広告キャンペーン(Vogue)

SNS全盛の時代にあっても、The RowのInstagramは商品露出や売上訴求とは一線を画し、美術作品や写真、建築、詩的な情景を静かにキュレーションする。Spotifyには姉妹の音楽的嗜好を感じさせるプレイリストが並び、ブランドそのものが「理想化されたライフスタイル」の一部として機能している。

英『Vogue』誌はThe Rowの哲学をこう評している。「おそらく、そこにThe Rowの成功の秘訣がある。現代ファッション市場における真のラグジュアリーとは、話題性やインターネットの爆発的バズではなく、控えめで、ゆっくりとした、ほとんど人目に付かないものなのだ。それは、内面の自信を物語る服である。これらは、未来に受け継がれるファッションの遺産となるだろう」。

The Rowのカラーホイール(The Cut)

その在り方は、アメリカ的な実用主義とヨーロッパ的な職人性との融合とも言える。機能的で着回し可能なアイテム構成でありながら、素材には高級繊維が惜しみなく使われ、パターンはSavile Row譲りの精度で設計されている。そしてそこには、フィービー・ファイロ時代のCélineや、マルタン・マルジェラが手がけたHermèsに通じる知的なミニマリズムの精神が通底する。

懐疑的だったファッション業界も、次第にその静けさに耳を傾けはじめた。アメリカ・ファッション・デザイナー協議会(Council of Fashion Designers of America: CFDA)は、姉妹に複数回にわたり主要賞を授与し、彼女たちの創造性とクラフトへの姿勢を正式に評価した。

また、当初The Rowの商品を他のアメリカのデザイナーの商品と一緒に並べて販売していたBarneys New Yorkは、その商品をより良い立地——Yves Saint Laurentの近く——へと移動した。

「静けさ」が迎えた岐路

いま、The Rowのアイコニックなバッグ、Margauxは4,000ドルを超える価格にもかかわらず、販売されるたびに即完売が続く。ニューヨークのセールイベントには夜明け前から行列ができ、15時間待ちという異常な熱狂が記録された。もともと「静けさ」をアイデンティティとしたブランドに、いまやかつてないほどの「騒がしさ」が押し寄せている。

SNSでMargauxのDupe(模倣)品がバズり、TikTokでは「#TheRow」が数千万回以上再生される。匿名性にこだわったオルセン姉妹の哲学は、ケンダル・ジェンナーやミシェル・オバマといった著名人の着用によって、否応なく「可視化」されていった。静かなエレガンスは憧れの対象となり、誰もがその空気感を手に入れようとする時代が到来した。

ケンダル・ジェンナー

拡大する注目と熱狂は、ブランドが守ってきた匿名性や内省的な美学を侵食しかねない。一方で、変化する市場や消費者の価値観に頑なに背を向け続ければ、時代との共鳴を失い、かつて自らが打ち破った「セレブリティブランド」という固定観念に再び回収されてしまう危険も孕んでいる。

Quiet Luxuryというトレンドそのものもまた、転機を迎えている。2025年5月、北米LVMHの会長兼CEO、アニッシュ・メルワニは、Quiet Luxuryという言葉に対して「かなり迷惑だった」と率直に語り、その減速傾向に安堵感を示した。ポジショントークであるにせよ、その背景には明確な潮流の変化がある。近年のランウェイには鮮やかな色彩や装飾性の回帰が見られ、ミニマリズム一辺倒だった市場には、次なる感性の兆しが確かに芽生えつつある。

オルセン姉妹が描く未来

幼い頃から「ミシェル・タナー」として全米の注目を浴び、過度な注目と執拗な視線の中で青春時代を過ごした彼女たちが2006年にThe Rowを立ち上げたとき、そこには「注目されないこと」への強い思いが込められていた。

セレブリティという看板を意図的に封印し、ソーシャルメディアから姿を消し、ランウェイショーすら長年拒み続けた姿勢は、単なるマーケティング戦略ではない。それは、幼少期から青春期にかけて味わった「注目される人生」への静かな反抗であり、同時に「服そのものに語らせる」という純粋な創作への回帰でもあった。

この一貫した哲学は、Loud Luxuryが支配していた2000年代にも、Quiet Luxuryが隆盛を極めた2020年代にも、決してブレることはなかった。流行に迎合することなく、時代の変化に翻弄されることなく、ただ「本当に良い服とは何か」を問い続けた姿勢こそが、The Rowの真の価値なのである。

いま、The Rowは再び転換点に立っている。オルセン姉妹が選び取った「匿名性というラグジュアリー」は、時代の流れの中で一つの到達点を迎えた。Quiet Luxuryという大きな波が変化の兆しを見せる中で、ブランドは新しい表現を模索する必要に迫られている。

しかし、それは決して根本的な哲学の転換を強いるものではない。重要なのは、表面的なトレンドに左右されることなく、自らの美学を深化させ続けることだ。2018年にCélineを離れたフィービー・ファイロが2021年に立ち上げた自身のブランドで「実験的で先鋭的な新しいミニマリズム」とともにQuiet Luxuryの枠組みの凌駕をも試みるような美学を提示しようとする中、The Rowもまた、これまでの「優しい静けさ」から一歩踏み出し、より現代的で知的な表現を探求する時期に来ているのかもしれない。

Phoebe Philo(2023年)

それは決して、これまでの価値観を否定することではない。むしろ、「見せない美学」の系譜を、Quiet Luxuryの先にある変化の兆しの中で再構築する試みになるだろう。それは、単に装飾を削ぎ落とした穏やかなミニマリズムではなく、より知的で挑戦的な、現代的緊張感を孕んだ表現かもしれない。

幼い頃から注目され続けた人生が生み出した「見せない美学」は、時代を超えて愛され続けるタイムレスな価値を持っている。その核心を守りながら、なおも進化し続けることができるか——The Rowの真価が問われる時代が、いま始まろうとしている。この世に生を受けてわずか9ヶ月でミシェル・タナーとして始まった二人の姉妹、メアリー=ケイトとアシュレーの社会との対峙は、今また、新たな章を迎えようとしている——。

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※ 生成AIが客観的な視点でレビューしています🐏🐕

🐏 Behind the Flock

“Sheepcore”で取り上げたテーマをさらに深掘りしたり、補完する視点を紹介します。群れの中に隠された本質を探るようなアプローチを志向しています。

1. The Rowが10 億ドルの評価額で資金調達

The Rowが、Chanel共同オーナーのベルテメール兄弟とL’Oréal創業者の孫であるフランソワーズ・ベタンクール・メイエールらから出資を受け、評価額は約10億ドルに達した。投資にはNet-a-Porter創業者ナタリー・マスネ氏やローレン・サント・ドミンゴも参加。2006年にオルセン姉妹が創業した同ブランドは、ロゴを排した高品質なデザインと「Quiet Luxury」で注目され、セレブブランドの枠を超えた存在となっている。今回の資金調達により、現在4店舗に限られる直営店の拡大や、メンズ、ホームウェア、ビューティー分野への展開が期待される。一方で、過剰な拡大による希少性の損失や品質管理の課題も指摘されており、「静かで着実な成長」が今後の鍵となる。

2. The Row がスタイルに敏感なセレブたちにとって欠かせないブランドとなった理由

2006年にオルセン姉妹が創設したラグジュアリーブランド、The Rowは当初は有名人の副業的な印象を持たれていたが、現在ではHermèsやChanelにも匹敵する存在感を放っている。ロゴのない控えめなデザインと卓越した品質、徹底したディテールへのこだわりが評価され、2024年にはQuiet Luxuryブームとともに注目度が急上昇。Margauxトートはその象徴的アイテムとなった。SNSを避け、ミステリアスなイメージを保つオルセン姉妹の姿勢もブランドの希少価値を高めており、「本物のラグジュアリー」とは、目立たずとも確かな美意識と職人技に裏打ちされたものであることを体現している。

3. The Rowはクールさを維持できるのか?

The Rowは2006年の設立以降、Quiet Luxuryを体現する存在として注目を集めてきた。シンプルで控えめなデザインながら、上質な素材と緻密な仕立てで支持され、ニューヨークのファッション感度の高い層を中心に熱狂的なファンを持つ。高額ながらその「知的なオーラ」と排他的なマーケティング戦略がブランドの神秘性を高める一方、近年ではサンプルセールの開催やセレブ着用によって広く認知され始め、T.J. Maxxでの類似品販売やSNSでの拡散など「高級」の境界を揺るがす兆しもある。魅力の核心には「時代を超えるタイムレスさ」と、ファッションの浮き沈みから距離を取る姿勢があるが、実際には消費と階級意識を巧妙に刺激する存在でもある。

🫶 A Lamb Supreme

The Rest Is Sheepsが日常で出会った至高(笑)の体験をあなたにも。

Podcast『Sheepcore』チャンネルを開設しました!🎙️

皆さま、お待たせしました!The Rest Is Sheepプロジェクトの新たな展開として、Podcast『Sheepcore』チャンネルをスタートしました!

これまで本ニュースレターで取り上げてきた記事を、生成AIが客観的な視点でレビュー。男性と女性のナレーターによる掛け合いで、文章を読むのとはまた違った感覚で楽しめます。通勤中や家事の合間など、忙しい日常でも気軽に耳で情報をキャッチできるのが音声の魅力。

AIナレーションの精度の高さは私たち自身が驚いています!多少の読み間違いもありますが、それはご愛嬌(笑)。テキストをほぼ自然な会話として再現する技術に、思わず感心してしまうほど。

このPodcast「Sheepcore」では、AIによる第三者的な分析を通して、私たちの記事をこれまでとは違った角度から味わっていただけます。なお、AIが提示する見解や意見は、あくまでもAIによる解釈であり、The Rest Is Sheepとしてはそれらの見解を支持しているわけではありません。

これまで通りニュースレターを読んでいただいた後に、補完としてPodcastをお聴きいただくことをおすすめします。(逆でも良いかもしれません。)テキストと音声の両方に触れることで、内容の理解度が一層深まります。今はAIのみですが、そのうち我々の楽屋トークもしれっとアップ予定です!

新たな視点、新たな形式で、The Rest Is Sheepコンテンツをより深く、より身近に体験してください。 ぜひ、「Sheepcore」チャンネルをご登録いただき、最新エピソードをお見逃しなく🐏

すべての誤字脱字は、あなたがこのニュースレターを注意深く読んでいるかを確認するための意図的なものです🐑

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