#097_Sheep アルゴリズム化する都市

かつてニューヨークは、偶然の出会いが渦巻く「公共の街」だった。だが今、その通りはどこも同じ店で埋め尽くされ、街から十代の姿すら消えている。「Slop(スロップ)」という言葉を手がかりに、レコメンドアルゴリズムと不動産経済が結託して都市を均質化していく構造、そして「摩擦」「プレソート」といったキーワードを読み解く。効率よりも余白、最適化よりも偶然──アルゴリズムが都市の隅々まで浸透した時代に、私たちはどうやって「文化が育つ土壌」を取り戻せるのか、その手がかりを探る。

“The Rest Is Sheep”は、デジタル時代ならではの新しい顧客接点、未来の消費体験、さらには未来の消費者が大切にする価値観を探求するプロジェクトです。

役に立つ話よりもおもしろい話を。旬なニュースよりも、自分たちが考えを深めたいテーマを――。

そんな思いで交わされた「楽屋トーク」を、ニュースレターという形で発信していきます。

🔍 Sheepcore

カルチャー、アート、テクノロジー、ビジネスなど、消費者を取り巻く多様なテーマをThe Rest Is Sheepのフィルターを通して紹介します。結論を出すことよりも、考察のプロセスを大切に。

アルゴリズム化する都市

©︎The Rest Is Sheep

はい、それでは今日の講義、始めていきましょう。

ちょっと想像してみてほしいんですが、皆さんが「ニューヨーク」という街に抱いているイメージって、どんなものでしょう。眠らない街、最先端のファッション、あらゆる人種と文化が混ざり合う場所。そういうイメージを持っている方が多いんじゃないかと思います。

今日は、その「皆さんがイメージするようなニューヨーク」がいま実際にどうなっているか、という話をしていきたいと思います。まずは、時計の針を30年ほど巻き戻してみましょう。

1992年、ティーン向けカルチャー誌『Sassy』のファッション編集者が、イースト・ヴィレッジを歩く一人の少女に目を留めます。コネチカット州ダリエンから、学校をサボってわざわざ電車に乗ってきた17歳、クロエ・セヴィニーです。その場で声をかけられ、雑誌のモデルとして起用された彼女は、後に『New Yorker』誌上で「世界で最もクールな少女」と呼ばれるにまでなります。

あるいは同じ頃、39歳のコメディアン、ジェリー・サインフェルドが、セントラルパークで17歳のショシャーナ・ロンスタインと出会います。二人はその後4年間交際することになる──今の感覚で聞くとぎょっとする話ですが、ともかく「街で偶然すれ違い、何かが起きる」ということが、当時のニューヨークの日常の一部でした。

オンラインの生活が主流になる前、1990年代のニューヨークは、後に世界的なアーティストや映画監督、ミュージシャンとなる一つの世代を生み出した街だったわけです。

※ 生成AIが客観的な視点でレビューしています🐏🐕

消えたティーンエイジャーたち

1990年代のニューヨークの街角やセントラルパーク。そこには、私立の学校に通う裕福な子どもも、ブロンクスから電車でやってきたスケーターも、田舎から学校をサボって出てきた10代も、全員がごちゃまぜになってストリートにいました。

当時「ユースカルチャー担当記者」として街を歩き回っていたナンシー・ジョー・セールズは「当時のセントラルパークにはまるで渡り鳥のようにティーンエイジャーが集まってきていた」と振り返ります。バスケットボールコートや公園のベンチに集まり、偶然出会い、好きな音楽や服の話をし、時にはケンカしながら、お互いに影響を与え合っていた。

ジョーダン・ピール、アリシア・キーズ、サフディ兄弟、レディー・ガガ、リン=マニュエル・ミランダ、スカーレット・ヨハンソン──今やポップカルチャーの第一線で活躍する才能の多くが、あの時代のニューヨークのストリートという、いわば「自然発生的な交雑の現場」から出てきています。

でも、2026年のニューヨークに、その風景はもうありません。セントラルパークを歩いても、驚くほど10代の姿が見当たらない。まるでドラマ『LEFTOVERS/残された世界』のように、ある層の人間だけが静かに消えてしまったような不気味さがあります。

彼らはどこへ行ったのか。答えは単純です。家の中で、1日平均9時間、画面を見ているんです。

かつて都市の中で最も予測不能で、最も無軌道な存在だったティーンエイジャーたちが街から消えた。これは単に一つの世代がいなくなったという話ではなく、街という生態系が、静かに新陳代謝を止め始めているサインなのかもしれません。

「Slop化」する都市

変わっているのは、人だけではありません。この10年で、街そのものの姿も大きく変化しました。

スマッシュバーガーの店、ジェラート屋、ブリトーのフードトラック。高級ジムや、ペプチド注射を謳うアンチエイジングスパ。個人経営の店は姿を消し、いまニューヨークの街はどのブロックに行っても、いかにも「2026年らしい」記号で埋め尽くされています

Smashed(The Infatuation)

レストランのメニューを見ても同じです。TikTokでバズった「チーズがとろけるビジュアル」や、トレンドの食材を意識した料理が並び、バーやパブの内装はインフルエンサーが撮影しやすいように設計されている。どこへ行っても、同じような店。そして、同じような服を着た人が、同じような料理を撮影しています。

街で話題になるのも、ワールドカップか、テイラー・スウィフトの結婚式か、ノーランの新作か。もちろん「みんなが同じ話題で盛り上がる」こと自体は、目新しい現象ではありません。テレビが茶の間の中心にあった時代も、翌朝の職場や教室では、みんなが前夜の同じ番組の話をしていました。話題が同期すること自体は、マスメディアの時代からずっと起きていたことです。

でも、いま起きているのは、それとは少し違う同期です。あの頃は、話題は同じでも、その後どこへ行くか、誰と会うか、どんな店に入るかは、それぞれバラバラでした。話題は共有されても、行動や空間まで均質化されていたわけではなかった。いま起きているのは、話題だけでなく、「どこへ行き、何を撮り、どんな店に座るか」という行動そのもの、そして空間そのものまでが、同じアルゴリズムによって同期してしまうという事態です。

皆さんも思い当たる節があるんじゃないでしょうか。旅行先で飲食店を探すとき、InstagramやTikTokで検索すると、表示されるのはだいたいどこも同じ店です。評価が高くて、写真映えして、インフルエンサーが紹介している。世界中の人が同じ情報を見て、同じ店に向かう。かつては口コミが広まるまでに数か月、あるいは数年かかっていたことが、いまでは数日で世界中に同期してしまう。情報だけでなく、人々の行動、そして街の構造そのものが同期していく。これは、都市にとってかなり根本的な変化です。

いまのこのニューヨークを語るうえで、一つ象徴的な言葉があります。「Slop(スロップ)」。直訳すると「家畜の餌」みたいな意味ですが、ネット上では、AIやアルゴリズムが大量生産した、低品質で風味のないコンテンツを指す言葉として定着しています。

ニューヨークで起きているのは、この「Slop化」が、オンライン空間から物理的な現実へとそのまま染み出してきている、ということです。ネット上の模倣コンテンツが、そのまま都市の空間として実体化している──「Slop Reality」、とでも呼びたくなる現象が、街の随所で起きています。

空間を均質化するアルゴリズム

では、なぜこうなっているのか。構造を見ていきましょう。

SNSのレコメンドアルゴリズムは、「エンゲージメント(滞在時間・反応)」を最大化するように設計されています。これ自体はご存知の方も多いと思います。でも重要なのは、この仕組みが今や物理空間にも染み出してきている、という点です。

ライターのカイル・チャイカは著書『Filterworld』の中で、こんな現象を指摘しています。ロサンゼルスのカフェも、東京のカフェも、リスボンのカフェも、なぜか同じような内装になっている。白い壁、剥き出しの木材、ハンギングプランツ、幾何学的なタイル。チャイカはこれを「AirSpace(エアスペース)」と呼びました。Instagramで「いいね」がつきやすい構図、Airbnbのレビューで評価されやすいデザインが、世界中の空間の見た目を均質化させてしまっている、という指摘です。

AirSpace(The Verge)

アルゴリズムは、「その場所らしさ」を評価する仕組みを持っていません。評価するのは「どれだけ多くの人に同じように刺さるか」だけです。その結果、個性的で尖った店より、誰にでも通じる「フィルターのかかった無難で心地よい」空間の方が、可視化され、拡散され、生き残っていく。皮肉なことに「個性を出そう」として作られた店ほど、アルゴリズムに評価されるために同じような文法に収束していく。それが、いまのグローバルな都市空間に起きていることです。

都市経済という増幅装置

これに追い打ちをかけているのが、不動産価格の高騰です。

家賃が高すぎるため、こだわりを持った個人経営のビジネスは、資本効率の論理とともに押し出されていきます。街角には銀行、高級ジム、ペプチド注射のクリニック、スタートアップのオフィスといった、利益率の高い業態ばかりが並ぶことになる。東京でいえば、下北沢の古着屋がチェーン化していく現象も、同じ力学です。家賃は「都市文化の選別装置」として機能しています。

かつてアメリカの都市論では、「ロサンゼルスは私的な体験の街、ニューヨークは公共の体験の街」と語られてきました。ロサンゼルスは自動車社会で、人々は自宅や庭、プールといった閉じた私的空間を車で移動しながら生きている。対してニューヨークは、地下鉄や歩道、公園、ダイナー、バーといった公共空間を舞台に生活が営まれ、見知らぬ者同士が肩を並べ、予測不可能な偶然が起きる街でした。

ところが、その構図が崩れています。ニューヨークでさえ、スマートフォンによって先回りされた欲望を満たすための「私的なゾーン」へと変貌しつつある。かつて偶然の出会いを生んでいた公共空間は、あらかじめ思い描いたライフスタイルを他者の前で演じるための「舞台セット」に近くなっている。本当に関わり合うための場ではなく、それぞれが自分のタイムラインの延長として消費する場になってしまっているわけです。

この構造が生み出した最大の問題は、都市から「摩擦(friction)」が失われたことです。レコメンドアルゴリズムによって経験が事前に「選別(プレソート)」されるため、私たちは自分と似た意見の友人、アルゴリズムが提示した恋愛候補、自分が選んだバーでしか出会いません。ワールドカップの熱狂の中でさえ、見知らぬ人同士が偶然ぶつかり合って混ざり合うようなことは、構造的に起きにくくなっています。

文化は「偶然」から生まれる

この「摩擦の喪失」が、なぜ問題なのか。もう少し引いた視点から考えてみましょう。

かつては、こうした都市の偶然を主題にした映画がいくつもありました。リチャード・リンクレイターの『恋人までの距離(Before Sunrise)』では、列車で偶然隣り合ったアメリカ人の青年とフランス人の女性が、ウィーンで途中下車して一夜を過ごします。二人は電話番号も交換しないまま、半年後にまた同じ場所で会おうとだけ約束して別れる。続編の『ビフォア・サンセット』で二人が再び出会うまで、実に9年かかります。ウォン・カーウァイの『恋する惑星』でも、香港の深夜の街で、刑事と惣菜店の店員がすれ違います。

『恋する惑星』(Wikipedia)

これらの作品に共通しているのは、「もう二度と会えないかもしれない」という不確実性そのものが、ロマンスの重みを作っていた、という点です。旅にはリスクがあり、距離には想像の余地があり、恋人は画面越しにいつでも所在確認できる存在ではなかった。その不確実性の中でこそ、人との出会いは特別な意味を持ちました。

つまり、摩擦こそが、文化を生む土壌だったんじゃないか、と思うんです。偶然すれ違う。道に迷う。思っていたのと違う店に入ってしまう。気まずい沈黙が流れる──そういった「予測できなさ」の積み重ねの中から、新しい出会いや発想が生まれてきました。すべてが事前に検索・評価・最適化される世界では、「知らなかったこと」に出会う機会が、構造的に失われていきます。

ただ、こうした状況への小さな抵抗も、あちこちで芽生えています。少し前、ニューヨークのトンプキンス・スクエアで「Summer of Ludd」と呼ばれるイベントが開かれました。スマホを持たずに集まろう、という運動です。若者たちがブランケットの上に座り、ギターを鳴らす。特別新しい光景ではなかったけれど、誰もスマホを見ていなかったから、その場にいる人たちが「本当にその瞬間にいた」と感じられるようなイベントです。

ニューヨーク在住の劇作家、マシュー・ガスダは、その場の空気をこんなふうに書き残しています。「ただ、起きていた。二度と同じ形では再現できず、誰かに売ったり、繰り返したりもできない出来事だった」と。

「複製も転売もできない」。この感覚が、すごく刺さりますよね。AIも、TikTokも、フランチャイズも、いま、あらゆるものに「replication(複製)」の回路が付いている。でも本物の偶然には、その回路がない。それこそが、いまわたしたちが静かに失いつつあるものの正体です。

アルゴリズムが最適化しているのは、文化ではない

さて、ここで冒頭の話に戻りましょう。

ティーンエイジャーが街から消えた。ニューヨークがSlopに飲み込まれていった。この二つは別々の現象に見えて、同じ構造から来ています。レコメンドアルゴリズムはエンゲージメントを最大化するように作られている。不動産市場は資本効率を最大化するように作られている。スマートフォンというデバイスは注意を最大化するように作られている。そのどれもが「文化」や「偶然」や「人間関係の熟成」を評価する仕組みを、そもそも持っていないんです。

ここで一つ、強調しておきたいことがあります。これは「スマホを捨てよう」という話でもなければ、「SNSは悪だ」という話でもありません。アルゴリズムがもたらす利便性は本物だし、レコメンドが人生を豊かにすることも確かにある。問題はその利便性や「心地よさ」に無意識に安住することで、デジタルの世界だけでなく、リアルな都市空間までもが同じアルゴリズムの論理に覆われていく、ということにあります。オンラインのフィードが均質化され、街角の店が均質化され、出会いの作法が均質化されていく。その連鎖の中で、「予測できないこと」「摩擦」「偶発性」が──つまり文化が育つ土壌が──静かに痩せていく。

アルゴリズムが最適化しているのは、効率です。文化ではありません。

街という場所は、本来、非効率で、雑多で、予測不可能なものが生き延びる余地があったからこそ、そこから新しい何かが生まれてきました。1990年代のティーン文化も、偶然の出会いが育むロマンスも、根底にあるのは同じ論理です──偶然に開かれていること自体が、価値だった。

都市をSlopから取り戻すのは、政治でも行政でもなく、「あなたが出かけて、偶然を許容する」という、とても個人的な行為の集積なのではないでしょうか。スマホのレコメンドではなく、見知らぬ店に入ってみる。Tinderのマッチングではなく、隣の席の人と話してみる。そういう小さなノイズを、本の数%だけでも意図的に自分の生活に混ぜ直すこと。それはアルゴリズムへの抵抗ではなく、アルゴリズムを知ったうえでの、意識的な選択です。

みなさんが今日、ここに来るまでの間、スマホを見ずに歩いていた時間は、何分くらいありましたか?だれかと直接言葉を交わしましたか?

「都市は、偶然の密度を上げる装置だった」──今日の話は、そんな一文に貫かれています。その装置がいまどういう状態にあるか、それはこのままで良いのか。それが、私たちに問われていることなんじゃないかと思います。

今日はこのあたりで終わりましょう。お疲れさまでした!

🐏 Behind the Flock

“Sheepcore”で取り上げたテーマをさらに深掘りしたり、補完する視点を紹介します。群れの中に隠された本質を探るようなアプローチを志向しています。

1. ティーンエイジャーたちはどこへ消えたのか?

かつてニューヨークの街角や公園に溢れていた10代の若者たちが、今ではほとんど姿を消し、1日約9時間をスマートフォンやSNSに費やすようになった。街で偶然出会い、多様な背景を持つ者同士が交流することで文化が生まれ、90年代には数々の才能ある表現者を輩出した路上文化は失われつつある。中毒性を追求したビッグテックの設計が若者の不安やうつ、注意力低下を招いており、学校でのスマホ禁止は効果を上げているものの、放課後の依存は解消されない。子供を守る責任は大人にあり、16歳未満のSNS・スマホ利用制限こそが、心の健康と都市文化を守る鍵となるだろう。

2. 都市の耐え難いほどの一様さ(2018年)

全米各地の都市を巡ると、独立系カフェやバー、住宅建築に至るまで、驚くほど似通った光景に遭遇する。チェーン店ではないにもかかわらず、IKEAの照明やブルックリン風の内装、クラフトビール、ブランチ、壁画など、都市ごとの個性よりも共通の美意識が前面に出ている。こうした均質化は、地方から大都市へ出た人々のUターンやジェントリフィケーション、SNSやインターネットを通じて急速に拡散する全国共通の都市トレンドへの憧れが背景にあり、小さな町にまで広がっている。便利で魅力的な空間を生む一方、地域固有の風景や文化を薄め、どの街を訪れても既視感を覚えるような「都市の同質化」が静かに進行している。

3. 「AirSpace」へようこそ(2018年)

「AirSpace」とは、FoursquareやInstagram、Airbnbなどのデジタルプラットフォームが世界中の都市空間や消費行動を均質化する現象を指す。アルゴリズムが好まれる場所を繰り返し推薦することで、カフェや宿泊施設、コワーキングスペースは木材やレンガ、ミニマルな家具など共通のデザインへ収斂し、「本物らしさ」と「安心感」を兼ね備えた画一的な空間が広がる。こうした利便性はデジタルノマドや旅行者に快適さをもたらす一方、地域固有の文化や多様性を薄め、「美的ジェントリフィケーション」を加速させる。技術は世界中で同じ価値観や美意識を増幅し、人々を心地よいバブルへ閉じ込めかねないため、地域との摩擦や違いを受け入れ、固有の文化やコミュニティを主体的に選ぶ姿勢が重要になる。

🫶 A Lamb Supreme

The Rest Is Sheepsが日常で出会った至高(笑)の体験をあなたにも。

今週もお休みです 🐏

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