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#082_Sheep Tasteがシリコンバレーを飲み込む
この十数年、「ソフトウェアが世界を飲み込む」という論理がシリコンバレーを支配してきた。だが今、そのシリコンバレー自身が「Taste」という新たな論理に揺さぶられている。技術がコモディティ化し、AIによって誰もが「作れる」ようになった時代。実装力に代わり、何を作り、何を選び取るかという審美眼が、ビジネスの帰趨を左右し始めている。それは人間に残された最後の砦なのか。それとも、テクノロジーをめぐる緊張を覆い隠す「Taste-washing」にすぎないのか。機能から感性へ、作ることから選ぶことへ──価値の軸が移ろういま、「Taste」とは何を意味するのかを考える。

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Tasteがシリコンバレーを飲み込む

©︎The Rest Is Sheep
はい、では時間になりましたので今日の講義を始めましょう。
最初に、みなさんに少し考えてほしいことがあります。最近、誰かのことを「あの人、センスあるな」と思ったことはあったでしょうか。あるいは、プロダクトや映像や文章を見て、「うまく言えないけれど、これ、なんかいいな」と感じた瞬間はあったでしょうか。たぶん、あると思うんですよね。しかも一度や二度ではないはずです。
でも、そのときに一歩踏み込んで、「そもそもセンスって何なんだろう」と考えたことがある人は、そこまで多くないかもしれません。
今日お話しするのは、まさにその「センス」──英語でいう「Taste」という言葉についてです。「ディスラプト」や「スケール」といったシリコンバレー発の用語がビジネスシーンに浸透してきた流れの中で、ここ1〜2年、その系譜に連なるかのように急速に存在感を増しているのが「Taste」という概念です。
OpenAIの社長であるGreg Brockmanは「Tasteは新しいコアスキルだ」と語り、著名投資家のPaul Grahamも「AIの時代において、Tasteはより重要になる」と発信しています。こうした言葉がSNSやニュースレターを通じて広がり、いまやテック業界では「Taste」という概念そのものが一つの大きな論点として立ち上がっています。
ただ、ここには少し違和感もあります。Tasteとは本来、食や芸術、デザインに対する個人的な「好み」や「審美眼」を指す言葉であって、特定のクリエイティブ領域を除けば、それがビジネスの成否を左右する中核的なスキルであるかのように語られることは多くありませんでした。なぜ、ロジックや数値を重んじてきたはずのテック業界が、これほどまでに主観的で捉えどころのない概念に強い関心を寄せているのか。今日はこの問いを、2026年という現在地から順を追って解きほぐしていければと思います。
※ 生成AIが客観的な視点でレビューしています🐏🐕
ソフトウェアの次に来たもの
この話の出発点として、2024年9月に発表された、起業家Anu Atluruの論考「Taste Is Eating Silicon Valley」からスタートすることにしましょう。
タイトルを見てすぐ気づく人もいると思いますが、これはa16zのMarc Andreessenが提示した有名な言葉「Why Software Is Eating the World」を踏まえたものです。当時このフレーズは業界の方向性を決定づけるほどの影響力を持ちました。その意味はシンプルで、「あらゆる産業がソフトウェアによって根本から再構築されていく」というものです。

Why Software Is Eating the World (a16z)
実際、その予言はほぼ現実のものとなりました。金融、医療、小売、エンタメといった主要な産業は例外なくソフトウェアによって再設計されていきましたよね。「コードが書けること」そのものが最強の武器となり、プロダクトを自ら実装できる人間がそのまま競争優位を握る──シリコンバレーのエコシステムは、長らくこの前提の上に成り立っていました。
その意味で、Anuのタイトルには、重要なニュアンスが含まれています。「Software Is Eating the World」では、ソフトウェアが金融や小売など「外の産業」を飲み込んでいった。しかし「Taste Is Eating Silicon Valley」が示すのは、今度はそのシリコンバレー自身が「Taste」というものに飲み込まれようとしている、ということです。「技術で世界を変える」という論理でほかの産業を変革してきた側が、今度は「Taste」という異なる論理によって、自らの価値観を書き換えられようとしている。そういう意味で、このタイトルはかなり自己批評的な響きを持っています。
ソフトウェアは「世界を飲み込む武器」から「前提条件」になった。Anuの言葉を借りれば、「稀少性の世界では道具(Tools)が価値を持ち、豊かさの世界ではTasteが価値を持つ」──この一文は、「価値の基準が機能から意味・感性へと移行した」という時代変化を端的に表しています。
少し丁寧に解きほぐしましょう。技術が希少だった時代──ソフトウェアを作れる人間が限られていた時代には、「使えるものを作れること」そのものが圧倒的な価値を持っていました。優れたエンジニアリングや機能性が、そのまま差別化になり、市場を制してきた。
しかし現在、技術の進化とAIの普及によって、一定水準の機能は誰でも比較的容易に実装できるようになりました。市場は「機能過多」の状態、いわば「豊かさ(abundance)」の中にある。多くのプロダクトが「十分に使える」水準に達した今、「使えるかどうか」はもはや前提条件にすぎず、それだけでは選ばれません。
そこで重要になるのがTasteです。ここでいうTasteとは、狭い意味でのデザインやUIに限らず、ブランド、体験、ストーリー、さらには価値観や文化的共鳴までを含む広い概念です。機能が同質化した世界では、「どのように感じるか」「自分らしさと合うか」といった感性的・文化的な要素が選択の決め手になる。つまり、「不足の時代=機能が価値を生む時代」から「過剰の時代=意味や美意識が価値を生む時代」へのシフト──Anuの論考がおもしろいのは、この変化を「シリコンバレーの価値基準そのものの変化」として捉えている点です。
「Taste」とはそもそも何か?
それにしても、Tasteとは、結局のところ何を指しているのでしょうか。
辞書的な回答としては、「何が良いかを見分ける感覚」や「質の良さや高い審美的水準を見分ける能力」という感じでしょうか。ただ、こう言われてもどこかつかみどころがない。なぜなら、「良い」とは何かが、そもそも自明ではないからです。
ここで参考になるのが、社会学者ピエール・ブルデューの議論です。
ブルデューの言葉でいえば、人の「センス」的なるものは個人の内面に閉じたものではありません。私たちが何を自然に「よい」と感じ、何に違和感を覚えるかは、育った環境、教育、日々触れてきた文化、所属する階層やコミュニティの中で少しずつ身についていく。その身体化された感覚の型を、彼は「ハビトゥス」と呼びました。
つまり、Tasteはとても個人的に見えるけれど、実はかなり社会的でもあるんです。
「あの人はセンスがある」と言うとき、私たちはしばしば、その人の生まれつきの資質を褒めているつもりになります。けれど実際には、その人がどんな経験を積み、どんな文脈の中で感覚を鍛えてきたのかが大きく関わっている。この視点はとても重要です。
なぜなら、後で出てくる「Tasteは身につけられるのか」「コピーできるのか」という問いに、すでに関係しているからです。Tasteは完全に私的なものでもなければ、完全に普遍的なものでもない。その中間にある。だからこそ厄介で、だからこそおもしろい。
そのうえで、テック業界が今使っているTasteという言葉には、もう少し実務的なニュアンスがあります。それは、一言で言えば「何を作るべきかを見極める判断力」です。
生成AIが広がったことで、案を出すこと、形にすること、試作することのコストは一気に下がりました。するとボトルネックは、「どう実装するか」ではなく、「そもそも何を実装するのか」に移っていく。そのとき問われるのが、人間の側の選択の質です。何を良いとみなすのか。どこで止めるのか。何を捨てるのか。テック業界でいま語られているTasteの中心には、この「判断の問題」があります。
AI時代に、なぜTasteが持ち上げられるのか
「何を作るか」を決める判断力こそがTasteだとすれば、なぜいまその概念がこれほど広く支持されているのか。背景には、個人レベルとビジネスレベル、二つの層の動機が絡み合っています。
個人レベルで言えば、その動機はかなりシンプルな「不安」です。AIがコードを書き、画像を作り、文章を生成するようになったとき、「では人間に何が残るのか」という問いが避けられなくなった。そこで出てきた一つの答えが、「最終的に残るのはTasteではないか」という考え方です。
プログラマーに人気のニュースレター&ポッドキャスト「Latent Space」を運営する開発者のShawn Wangは、AI時代の落とし穴をこう表現しています。「どんなアイデアでも簡単に形にできるようになると、つい「全部つくってみよう」という気になってしまう。でも実際には、大半のものは世に出すべきじゃない」と。
何でも作れるからこそ、作るべきでないものまで作ってしまう。その帰結として生まれるのが「スロップ(slop)」──整ってはいるけれど、独自性も必然性も乏しいコンテンツの氾濫です。SNSに溢れる、なんとなく様になっているけれど魂がないコンテンツ、毎日見てますよね(笑)。あれです。
AIによって「作れること」の価値が下がると、逆に「作らない判断」の価値が上がる。全部やるのではなく、やるべきものだけを選ぶ。その抑制と選別の感覚が、ここでいうTasteなんですね。
そしてこの議論は、ワーカー個人の問いにとどまらず、テック業界全体のビジネス戦略にも波及しています。AIが機能的な均質化を加速させる中で、最後に差をつくるのは、世界観、トーン、体験の細部、つまり「それをどう感じるか」です。
だから、企業や投資家たちの間で「Tasteこそが競合に対する参入障壁になる」という考え方が急速に広まっている。元ByteDanceのエンジニアであるCong Wangが「個人のTasteが堀(モート)になる」と語るように、差別化の源泉は技術的な優位から審美的な判断力へとシフトしつつあります。

Personal Taste Is the Moat (A Geek’s Page)
ここで、対照的な視点から「Tasteが重要だ」と語る二人の人物を引いておきたいと思います。
Marc Andreessenが語るのは、ビジネスの論理としてのTasteです。AIがあらゆる領域に浸透したとしても、「何に賭けるか」を決める判断は最後まで残る──その意味で投資とは極めて純粋なTasteの仕事だ、と。これはTasteを「競争優位の源泉」として捉える視点です。
一方でSnapのEvan Spiegelが語るのは、より人間論的な文脈からです。テクノロジー業界が、これまで軽視してきた「主観」や「感情」を語り始めているのは健全な兆候ではないか。AIが知性の領域を拡張していくからこそ、逆説的に「人間らしさとは何か」が問い直される──と。
つまりTasteという言葉には、人間論、競争戦略、文化論が全部重なっているんです。この重なりこそが、この言葉の魅力でもあり、胡散臭さの源でもあります。
「Taste」批判の視点
ここまで、Tasteがいかに重要な概念として浮上してきたかを見てきました。しかし、同じ現象を少し引いた目で眺めると、違う景色が見えてきます。
先ほど、テック業界全体が「Tasteが大事だ」と言い始めた背景として、差別化戦略という動機を挙げました。ただ、特にAI企業の側から発せられる「私たちはTasteを大切にしています」というメッセージには、もう一つわかりやすい文脈があります。
AIは多くの人にとって「脅威」でもあります。自分の仕事が代替されるかもしれない、自分の創作物が無断で学習データに使われているかもしれない。そうした不安や反発が社会全体に広がっています。まさにその状況で、AIを開発する企業が「私たちは人間の感性や創造性を大切にしています」と語り始める。これは差別化戦略であると同時に、社会的な摩擦を和らげるためのイメージ戦略としても機能しています。
これを「Taste-washing」と呼ぶことができます。「グリーンウォッシング」と同じ構造ですね。人間の労働や創造性を置き換えうるテクノロジーに「文化的で人間的なイメージ」を纏わせることで、その本質的な緊張を覆い隠そうとする──そういう試みのために「Taste」が利用されている。
具体例を見てみましょう。Anthropicはニューヨークやサンフランシスコでポップアップカフェを展開し、「thinking」と刺繍されたキャップを配布しました。OpenAIのスーパーボウルCMでは、フィルム調の映像の中で人間の手の動きや思考のプロセスが丁寧に描かれ、「You Can Just Build Things」というメッセージが強調されていました。どちらも共通しているのは、「人間らしさ」や「創造性」を前面に押し出した演出という点です。しかしその背後にある技術が目指しているのは、まさにその人間的な営みの自動化でもある──このねじれに、違和感を覚える人も少なくないはずです。

Anthropic’s Pop-Up (Adweek)
さらに厄介なのは、AIの氾濫が私たち人間のTasteそのものを侵食し始めている可能性です。New York Timesが行った実験では、文学作品とAI生成の文章を読み比べた際、約半数の参加者がAIの文章を好むという結果が出ました。「AIの品質向上」と見ることもできますが、別の解釈もある。私たちが日々接している情報環境そのものが、私たちの判断基準──すなわちTaste──を少しずつ書き換えているのではないか。もしそうだとすれば、これは単なる技術の進化ではなく、感性のインフラが変わるという話になります。
そして、もう一つ構造的な批判があります。投資家でありライターのWill Manidisは「Tasteを称揚する言説は、人間を「創造者」から「評価者」へと押し下げる」と指摘します。AIが作り、人間が選ぶ──この前提を受け入れると、人間の役割は主体的に何かを生み出す存在から、既にある選択肢を選別する存在へと変わってしまう。彼はこれを「主体性の格下げ(demotion)」と呼びます。Tasteが重要だという主張は一見、人間の価値を強調しているように見えますが、その裏側で「人間はもう作らなくていい」という前提を静かに飲み込んでいる可能性がある。鋭い指摘だと思います。
この問題を実践的なレベルで指摘するのが、ブランドコンサルタントのEmily Segalです。
Segalが引っかかっているのは、テック業界でTasteが、まるで「クッキー型(cookie cutter)」のように、どこでも同じ形に抜けるものとして語られていることです。良いTasteには共通の型があり、それを学び、コピーし、テンプレート化すればよい。そんなふうに扱われがちだ、と。
でも彼女は、そこに本質的な矛盾があると言います。Tasteとは本来、絶対的な基準ではないですよね。何との関係で良いのか、どんな文化的背景の中でそう見えるのか、どんな比較のなかで効いているのか。そうした文脈との関係の中で立ち上がる、相対的で関係的なものです。だから、「これが良いTasteの型です」と切り出した瞬間に、すでに何か大事なものが抜け落ちる。
彼女が「クッキーカッター的なTasteは、それ自体が悪いTasteだ」と言うのは、まさにこの意味です。誰でも同じように再現できる「良いセンス」があるとしたら、それはもう差異も癖も失っている。つまり、きれいに整ってはいるけれど、どこにも切実さがない。どこかで見たことのある「それっぽさ」だけが残る。
ここで、さきほどのブルデューの話が効いてきます。Tasteがハビトゥス、つまり経験によって身体化された感覚の型でもあるなら、それはそもそも完全には標準化できないはずなんです。ある人のTasteは、その人が通ってきた時間や偏りや文脈と分かちがたく結びついている。だからこそ価値があるし、だからこそ簡単には複製できない。
この観点から見ると、「Tasteを最適化する」「Tasteをスケーラブルなスキルにする」といった発想は、どこかで無理を抱えています。それはTasteを語っているようで、実際には平均化された無難さを語っているだけかもしれないからです。

OpenAI
Tasteの時代に、何が問われているのか
いま「Taste」という言葉が注目されているのは、単におしゃれな流行語だからではありません。AIによって「作ること」がコモディティ化した時代において、「何を作るか」「何を良いとみなすか」が決定的に重要になってきたからです。その意味で、TasteはたしかにAI時代の重要なキーワードです。
ただし、そこで話は終わりません。その言説には危うさも潜んでいます。Tasteという言葉が、テクノロジーの持つ社会的な緊張を覆い隠すためのイメージ戦略として機能している可能性。人間を「創る存在」から「選ぶ存在」へと静かに位置づけ直してしまう可能性。そしてAIが生み出す環境そのものが、私たちのTasteを内側から書き換えていくかもしれないというリスク。
つまり、Tasteとは単なるスキルではありません。それは、技術と人間の関係をどう捉えるかという、より大きな問いの入口にある概念です。
では最後に、最初の問いに戻りましょう。
「センスがいい」とは、いったい何を意味しているのか。
それは単に「良いものを選べる」ということではないのかもしれません。むしろ、その選択がどこから来ているのか、どのような環境によって形づくられているのか、そしてそれが本当に自分自身のものなのかを問い返す力。そのプロセスそのものが、これからの時代における「Taste」なのではないでしょうか。
AIがあらゆるものを生成する時代に、私たちが問われているのは、何を作るか以上に、何を良いと感じるのか、そしてなぜそう感じるのか、ということです。その問いから逃げないこと。それ自体が、もしかすると最も重要な「センス」なのかもしれません。
今日はここまで。お疲れさまでした!
🐏 Behind the Flock
“Sheepcore”で取り上げたテーマをさらに深掘りしたり、補完する視点を紹介します。群れの中に隠された本質を探るようなアプローチを志向しています。
1. シリコンバレーを飲み込む「Taste」
かつてマーク・アンドリーセンが述べたように、ソフトウェアは産業変革の中心であり、技術力が競争優位を決めていた。しかし現在、技術の進化やAIの普及によりソフトウェアはコモディティ化し、誰もが一定水準のプロダクトを作れる時代となった。その結果、競争の軸は「Taste」へと移行している。テイストとは、デザインやブランド、ユーザー体験、ストーリーを通じて製品の価値や共感を生み出す力であり、テクノロジーと文化が融合した現代では不可欠な要素である。製品は単なる機能ではなく、自己表現や価値観の象徴として消費される。この変化により、創業者には技術に加えて文化的共鳴を設計する力が求められ、投資家もまたTasteを備えた企業に注目する。テクノロジーとTasteの融合こそが、次の時代の競争力となる。
2. なぜ「テックブロ」たちは今、「Taste」に夢中なのか
AI時代の到来とともに、シリコンバレーでは「ディスラプション」に代わる新たなキーワードとして「Taste」が注目を集めている。ポール・グレアムや起業家たちは、テイストを競争優位(モート)と捉え、何を作るべきかを見極める能力こそが価値の源泉になると主張する。AIによって開発の民主化が進み、「誰でも何でも作れる」時代において、意思決定の質が重要性を増しているためだ。
しかし、この潮流には違和感も伴う。かつてミレニアル世代のヒップスター文化が消費選択によって「良い趣味」を誇示したように、AI企業もまたクラフト感や人間らしさを演出し、自らを魅力的に見せようとしている。だが実際には、多くの人にとってAIは仕事や自己を脅かす存在であり、「Taste」はその不安を覆い隠す「Taste Washing」の側面を持つ。さらに、AIが生み出すコンテンツが人間と区別できなくなる中で、私たち自身の審美眼の劣化も懸念される。本来Tasteとは、ヴォルテールが説いたように、美を感じ取り心を動かす能力だが、感情を持たないAIがそれを真に体現することはできない。
3. 「Taste」に反して
近年テック業界で広がる「Taste(審美眼)」重視の思想は、AIが高度化した後の人間の役割を「選び、評価すること」に見出すが、これは「人間の主体性の本質的な格下げ」だ。歴史的に芸術や創造は、パトロンと職人が緊張関係の中で関わり合い、神や未来といった超越的目的へ向かう「共創」のプロセスから生まれてきた。しかし18世紀以降、制作と資本が分断されることで、人間は創造の起点から退き、完成品を評価する消費者へと変化した。このとき生まれたのがTasteであり、それはかつての創造的関係の残滓に過ぎない。Tasteは既存のものを選び直す力にとどまり、真に新しいものを生み出すことはできず、文化は過去の再編集へと閉じていく。さらにAIは人間の嗜好すら学習し、最終的には「選ぶ役割」すら不要にする。ゆえに人間は評価者ではなく、意志と実践をもって創造に関与する存在へと立ち返るべきだ。
🫶 A Lamb Supreme
The Rest Is Sheepsが日常で出会った至高(笑)の体験をあなたにも。
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