#064_Sheep 都市とフーディフィケーション

スプリッツ、カルボナーラ、パステル・デ・ナタ。観光客が「その街らしさ」を求めて消費するこれらの定番料理は、いま都市の経済と景観を同時に規定する存在になっている。イタリアの都市やリスボンで進行するのは、食を媒介に街が特定のイメージへと収斂し、単一の味や体験に覆われていく「フーディフィケーション」だ。その過程で、食文化の多様性や地元住民の生活の場は後景に退き、都市は観光向けのモノカルチャーとして再編されていく。旅行者として、消費者として——私たちはこの構造をどう理解し、何を選択すべきだろうか?

“The Rest Is Sheep”は、デジタル時代ならではの新しい顧客接点、未来の消費体験、さらには未来の消費者が大切にする価値観を探求するプロジェクトです。

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そんな思いで交わされた「楽屋トーク」を、ニュースレターという形で発信していきます。

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カルチャー、アート、テクノロジー、ビジネスなど、消費者を取り巻く多様なテーマをThe Rest Is Sheepのフィルターを通して紹介します。結論を出すことよりも、考察のプロセスを大切に。

都市とフーディフィケーション

©️The Rest Is Sheep

はい、それでは今週も始めていきましょう。

つい先日、UNESCOがイタリア料理を無形文化遺産に登録することを決定しました。イタリアの料理そのもの──だけではなく、家族や地域社会を結び付ける社会儀礼としての側面も評価されました。イタリア料理といえば、まさに人類の至宝。美食を求めて世界中からイタリアに人が集まるのは当然のことでしょう。

でも、その「食」が今、私たちが愛するイタリアの都市を、文字通り「食い荒らし」始めているとしたら、どうでしょうか?

本日、皆さんと一緒に見ていきたいのは、世界で最も魅力的な二つの都市圏──イタリアの都市群とポルトガルのリスボンで、まさに進行している、甘くて、そして非常に苦い「食をめぐる闘い」の現実です。

私たちは旅行者として、消費者として、この現象の共犯者になっているかもしれません。だからこそ、その現実を直視し、その構造を理解してみましょう。

 

「砂糖を入れすぎるとコーヒーが台無しになる」

イタリア南部、シチリア島パレルモの旧市街を歩くと、目に飛び込んでくるのは赤と緑のチェック柄のテーブルクロス、テーブルクロス、またテーブルクロス。ある通りには31軒のレストランがひしめき合い、The New York Timesには、とあるオーストラリア人観光客が興奮気味に「この一帯は素晴らしい。レストラン、レストラン、またレストラン!」と声を上げたというエピソードが紹介されています。

並んでいるのは観光客が求める「定番」。アランチーニ、カンノーロ、カルボナーラ、そして蛍光色のアペロール・スプリッツ。皮肉なことに、この飲み物はイタリア北部発祥で、本来はシチリアのものではありません。でも今では、あたかもパレルモの象徴かのように至る所で提供されています。

Cooltourismical

この飽和状態に、パレルモのロベルト・ラガッラ市長は「許容ラインを越えた」と判断しました。今年、彼はマクエダ通り(Via Maqueda)ならびに周辺の通りにおける新規飲食店の開設を禁止する措置に踏み切ります。彼が語った言葉が印象的です。

「砂糖を入れすぎるとコーヒーが台無しになる」

これ、どういうことでしょうか?

ここで言う「砂糖」は、街に「甘い利益」をもたらしている観光客向けの飲食ビジネスを指しています。観光客が喜ぶスプリッツ、アランチーニ、パスタを提供する飲食店──わかりやすい「イタリアらしさ」と、手っ取り早い経済的利益の象徴ですね。

一方で、イタリアにおいて「コーヒー(特にエスプレッソ)」は、日常、生活、文化の核を象徴する特別な存在です。市長が言う「コーヒー」は、パレルモの街そのもの、その文化的バランスを指している。

つまりこの発言は、「街本来の味(文化・生活)が、観光向けの甘さに覆い尽くされようとしている」という危機感の表明なんです。過剰な「砂糖」、つまり短期的な快楽と利益が、「コーヒー」という長期的な文化価値を脅かしている──そういう比喩なんですね。

この発言は、表面的には観光客に対する苦言に聞こえるかもしれません。でも実際には、イタリア都市部が直面する深刻な構造的危機の表出なんです。

ボローニャ、フィレンツェ、ローマ、トリノ──イタリア各地の通りは、インスタグラム映えを意識してフライパンのまま提供されるカルボナーラと、ショーウィンドウの奥で観光客に向けてタリアテッレを打つ女性たちで埋め尽くされています。「まるでイタリアのおばあさんたちを動物園のように展示しているかのようだ」と揶揄する人もいるほどです。

 

観光経済の罠

背景には明確な経済の論理があります。

観光業はいまやイタリアのGDPの13%を占め、フード/ワイン・ツーリズムは過去10年で3倍に増加しました。パレルモでは中心部のレストラン数がこの10年で2倍になり、2023年には5年前と比べて50%増となる100万人以上の観光客が訪れました。

かつて地元住民にズッキーニ、桃、魚、牛肉を売っていたパレルモのカーポ市場(Mercato del Capo)。今やこの市場は、観光客向けのスティック・パスタ、カンノーロ型のマジパンクッキー、揚げ物を提供する場所へと変貌しています。

なぜか?答えは単純です。地元の縮小する顧客基盤を相手に果物や魚を売って細々と生計を立てるよりも、クルーズ船から降り立つ大量の観光客にステレオタイプなイタリア料理を提供する方が、はるかに収益性が高いからです。

観光客は、その食べ物が本物かどうか、地元の食生活とどうつながっているかよりも、分かりやすい「イタリアらしさ」を求め、消費しています。彼らはステレオタイプ化されたイタリア料理に高い対価を払い、満足して去っていく。そして、ビジネスはその無関心に付け込んでいるというわけです。

The New York Times

 

都市の空洞化という代償

でも、その代償として、都市の真正性──オーセンティシティが失われていきます。さきほど見た経済の論理が、都市の日常、多様性、そして魂を削り取っているんです。

ローマ中心部は過去15年間で住民の4分の1以上を失いました。ヴェネツィアとフィレンツェの歴史地区では、人口減少はさらに急速に進んでいます。

パレルモのカーポ市場で三代続けて果物を売り続けてきたパオロ・ディ・カルロは嘆きます。「客はみんないなくなった。今じゃここ一帯、全部ファストフードだ。100ユーロ稼ぐのがやっとなんて日もある」

イタリアの都市中心部は、かつてそこに暮らしていた人々の生活空間ではなく、観光客のための消費空間へと変貌しつつあります。

「ここは都市じゃなくて、テーマパークだ」──パレルモのソーシャルワーカー、カレン・バジルの言葉がそれを象徴しています。彼女の目には、マクエダ通りの華やかなハッピーアワーの光景が、高い若年失業率、低い生産性、頭脳流出に苦しむ地域の現実との間に、耐え難い断絶を生み出しているように映っています。

「ポンペイ最後の日のようだ。ヴェスヴィオ火山が噴火する前、人々は食べて歌っていた」

この懸念を裏付けるように、フィレンツェ当局も50以上の通りで新規レストランの開業を禁止しました。行政が規制に乗り出さざるを得ないほど、事態は深刻化しているんです。

 

リスボン:パステル・デ・ナタという「甘いモノカルチャー」

そして、ここにリスボン名物のエッグタルト「パステル・デ・ナタ」のストーリーを重ねると、イタリアのケースがさらに立体的に見えてきます。

16世紀に修道女たちが作り始めたとされるこの菓子は、かつてリスボン市民が気軽に楽しんでいた日常の味でした。

しかし、2008年の金融危機後、リスボン市は観光業に活路を見出し、パステル・デ・ナタを戦略的に世界に売り込みます。2014年には専門店「Manteigaria」がオープン。単一商品特化型の菓子店というビジネスモデルが成功すると、同様のコンセプトが次々と生まれました。複数のチェーン店が中心部に数十店舗を展開し、パステル・デ・ナタの店はほぼすべてのブロックに増殖していきます。

Rua Augusta通りには100メートルの区間に8軒もの店が密集。今や、パステル・デ・ナタはヒップなカフェ、レストラン、空港、さらにはZaraにまで売られています。Zara、ですよ(笑)。

Elle

そして、海外市場に受け入れられるフランチャイズ展開を見据える過程で、リスボンの歴史あるパン屋の雰囲気は捨て去られ、ミニマルでグローバル化されたスタイルが確立されていきました。そのスタイルの影響はリスボンにも逆流し、チェーン店の店舗は均質的で無機質な空間になりつつあるんです。

デザイン批評家のフレデリコ・ドゥアルテは、これを厳しく批判します。「コペンハーゲンにあってもパリにあっても違和感がないような、どこにでもある店だ。これは文化的ホワイトウォッシングであり、リスボンのアイデンティティの脱個性化だ」

何より深刻なのは、パステル・デ・ナタが「菓子のモノカルチャー」として機能していることです。まるで強すぎる光が周囲のすべてを覆い隠してしまうように、本来何百種類もあるポルトガルの伝統的なお菓子は、観光客の視界には入りません。

観光客はリスボン最高のパステル・デ・ナタを探し求める。でも、その過程で、その都市が持つ食文化の豊かな多様性に触れる機会を失っているんです。

 

リスボンの住宅危機

そして、パステル・デ・ナタの背後には、もっと大きな構造的問題があります。

過去10年でリスボンの住宅価格は市全体で176%、歴史地区では200%以上も上昇しました。EU加盟27カ国の住宅購入困難度ランキングで、ポルトガルはかつて22位でしたが、今や1位です。

この変化の背景には、明確な政策的選択がありました。2008年の金融危機後、ポルトガル政府は賃貸法を緩和して立ち退きを容易にし、外国人投資家にゴールデンビザと税制優遇を提供したんです。

その結果、リスボン大学の研究員アグスティン・ココラ=ガントが指摘するように、リスボンは「外国の富を歓迎するが、多くの自国民を排除する都市」へと変貌していきました。

数字は衝撃的です。観光客向けの短期賃貸が中心部の住宅の70%を占め、わずか約18平米のアパートが月1,000ユーロ──これは納税者の60%の月収を超える金額です。2019年から2021年にかけて、56,000人以上のリスボン市民が街を去りました。その多くは住宅費を負担できなくなった若者たちです。

エッグタルトとジェントリフィケーション。一見無関係に見える二つの現象は、実は深く結びついています。Manteigariaの8店舗は、すべて平均以上の住宅価格を持つ地域に立地しているんです。観光客が温かいエッグタルトを求めて歩道に列をなす場所では、必ず家賃が上昇し、住民が転出しているという構造が、明確に見えています。

 

「恵み」と「呪い」のジレンマ

この状況には深い矛盾が内在しています。

150人の従業員を雇用し、毎日数千個のパステルを販売するパステル・デ・ナタのチェーンFábrica da Nataの総支配人、マイルトン・ソウザの言葉は、その矛盾を如実に表しています。「パステル・デ・ナタはリスボンに大きく貢献した。雇用を創出し、経済を押し上げた。今やこの街の資産だ」

でも、彼は続けます。「従業員全員、アルマダ、アマドーラ、オディヴェーラスといった郊外に住んでいる。もうここには誰も住めないんだ」

観光業は確かに雇用を生み出します。でも、その雇用は、もはやそこに住むことができない人々のためのものなんです。

イタリアでも同様のジレンマが見られます。パレルモのツアーガイド、ヴァレリア・ヴィトラーノは、馴染みの野菜売りがレストランに転換し、家賃上昇で友人たちが中心部から追い出されるのを目の当たりにしてきました。しかし彼女自身も観光業で生計を立てています。「私もその中にいる。それが葛藤だ」

イタリアのジョルジャ・メローニ首相は、観光業を「富と幸福の異常な生成源」と称賛します。しかし、誰にとっての「良さ」なのでしょうか。この状況は、経済的な「恵み」と、文化・生活の「呪い」という、二律背反の極致と言えるでしょう。

 

「語られない問題」を可視化する

さて、本日の議論を総括しましょう。

イタリアでは「スプリッツとカルボナーラ」、リスボンでは「パステル・デ・ナタ」。いずれも「Foodification(フーディフィケーション)」という現象のシンボルです。これは、都市空間が観光客向けの「ステレオタイプ化された食体験」によって均質化され、ローカルの多様性と日常生活が押し出されていく、食をベースにしたジェントリフィケーションに他なりません。

この問題の最も恐ろしい点は、「誰も語りたがらない」ことにあります。政治家は観光を経済の命綱と見なしているため、オーバーツーリズムという言葉すら避けようとします。観光業で生計を立てている人々も同じですよね。そして、観光客は、自分が楽しめればひとまず満足し、混雑に文句を言う以外、基本的には無責任です。つまり、街に問題が起きてるのに、誰も「問題が起きてる」とは言わない構造があるんです。

だからこそ、パレルモ市長の「砂糖を入れすぎたコーヒー」という警告、そしてフィレンツェやパレルモが踏み切った新規飲食店への規制措置は、単なる行政措置以上の意味を持っています。「ここまで来てしまったら、どこかで立て直さないといけない」という、行政と住民の「ぎりぎりの声」を可視化した行為なんです。彼らの行動は、私たち旅行者が「好きだと思っている街」の裏側で、どれほどの葛藤と調整が行われているのかを雄弁に物語っています。

カスタードで潤滑された歯車と、ガリレオのいない都市

この文脈で思い出したいのが、ピサ高等師範学校で学長を務めたサルヴァトーレ・セッティスの言葉です。彼は、「優秀なシェフばかり集めるんじゃなくて、新たなガリレオを生み出そうと努力すべきではないか?」と問いかけました。観光と食に依存しすぎることで、都市が本来育むべき多様な産業や知的基盤を置き去りにしていないか——という問いです。

Fábrica da Nataの総支配人、マイルトン・ソウザが語った比喩は、この危うさを最も端的に表現しています。

「リスボンの経済を回している歯車は、カスタードという甘さで潤滑されている」

パステル・デ・ナタは、確かに雇用と収益を生み、街に活気をもたらしました。でも、その甘さ(短期的な成功)が、経済の摩擦や、住宅危機といった構造的な課題を覆い隠している。祝福であり、同時に呪いでもある。この二重性こそが、現代の観光都市が抱える核心的なジレンマです。

私たちにできること:想像力の消費

そして、私たちは旅行者として、消費者として、この「甘さで潤滑された歯車」の一部になっています。

だから必要なのは、想像力を消費することです。つまり、安さや定番だけでなく、その背後にある人の暮らしや都市の構造まで含めて体験を引き受ける、という意味です。

スプリッツを飲むとき、パステル・デ・ナタを頬張るとき、その一杯、その一個の背後で、誰が利益を得て、誰が排除されているのかを、ほんの少し想像してみる。

そして、消費の選択肢を意識的に広げること。

定番だけでなく、まだ残っている多様な場所へ足を運ぶこと。それは小さな行動かもしれません。でも、その積み重ねが、都市をテーマパークではなく、人が暮らし、文化が息づく場所として存続させる力になります。

この問題は、海外だけの話ではありません。私たち自身の足元でも、すでに始まっている問いなんです。

今日はここまでにしましょう。お疲れさまでした!

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※ 生成AIが客観的な視点でレビューしています🐏🐕

🐏 Behind the Flock

“Sheepcore”で取り上げたテーマをさらに深掘りしたり、補完する視点を紹介します。群れの中に隠された本質を探るようなアプローチを志向しています。

1. イタリア料理がユネスコ無形文化遺産に

イタリア料理のUNESCO無形文化遺産登録は、文化外交の成果として歓迎され、観光増加や経済効果への期待が高まっている。食関連産業はGDPの約15%を占め、家族経営の食堂には追い風となる可能性があり、過去のピッツァ職人や農業文化の登録が観光や専門教育を大きく押し上げた事例もある。業界は今後2年で観光が最大8%増えると試算する。一方で、研究者は過度な観光集中や「食のジェントリフィケーション」、都市中心部の「テーマパーク化」を懸念。観光客向けに均質化された「チェック柄のクロスの店」が増え、地域固有の多様な食文化が失われる危険が指摘されている。人気料理が「万人向け」の定番メニューへと標準化され、深い歴史や地域性が希薄化するという批判もある。ローマのとあるレストラン経営者は、今回の登録が本来の食文化の強化につながるべきであり、マス観光向けの簡易フードに流されることへの警戒を示している。

2. パステル・デ・ナタは恵みであると同時に呪いでもある

リスボンでは名物パステル・デ・ナタが、観光依存の進行と都市変容の象徴になっている。2010年代以降、観光産業が急拡大する中でパステル・デ・ナタ専門店が街に乱立し、家賃高騰や外資流入、短期賃貸の拡大により歴史ある店や地域ベーカリーは閉業、住民も市外へと流出した。住宅価格は10年で200%近く上昇し、リスボンはEUで最も住宅が手に入れにくい都市となっている。一方でブランド側は、パステル・デ・ナタを「ポルトガルの名刺」として品質向上や世界展開を進め、空き店舗再生や雇用創出を利点として語る。しかし観光仕様の均質な店づくりは街の個性を薄め、パステル・デ・ナタの大量消費は多様な菓子文化を覆い隠す「モノカルチャー化」を招いた。日常の菓子だったナタは、今や資本と観光を象徴する商品へと変貌し、街の匂いと景色は「甘い香りの裏にある苦味」を住民に突きつけている。

3. 食、ジェントリフィケーション、そして変容する都市

料理や飲食店は、都市のジェントリフィケーションを進める重要な媒介となっている。低所得層や移民コミュニティの食文化が再編集され高級レストランや洗練された飲食空間へと変換されることで、地価や生活費の上昇を招く。その結果、元の住民は自らの文化的食を消費することすら難しくなる。食は単なる嗜好ではなく、都市のイメージや「住みたい場所」を演出する記号として機能し、観光や富裕層の流入を後押しする。食の高級化、そして都市空間の再編が、文化的排除と物理的排除を同時に引き起こしている。食と都市変容は深く結び着いているのだ。

🫶 A Lamb Supreme

The Rest Is Sheepsが日常で出会った至高(笑)の体験をあなたにも。

今週もお休みです 🐏

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