- The Rest Is Sheep
- Posts
- #031_Sheep 教皇の愛した絵画
#031_Sheep 教皇の愛した絵画
第266代ローマ教皇フランシスコが88歳で逝去した。貧者への奉仕や気候変動対策など、社会問題に果敢に向き合った教皇だが、知られざる一面として芸術への深い愛情があった。とりわけ、イタリア・バロック期の巨匠カラヴァッジョが描いた『聖マタイの召命』は、教皇自身の信仰観と重なる作品であり、生涯にわたって強く心を揺さぶり続けた。マタイが神の呼びかけに戸惑い、抵抗する様は、フランシスコが「主に見つめられた罪人」として自己を重ね合わせた瞬間でもあった——。

“The Rest Is Sheep”は、デジタル時代ならではの新しい顧客接点、未来の消費体験、さらには未来の消費者が大切にする価値観を探求するプロジェクトです。
役に立つ話よりもおもしろい話を。旬なニュースよりも、自分たちが考えを深めたいテーマを――。
そんな思いで交わされた「楽屋トーク」を、ニュースレターという形で発信していきます。
🔍 Sheepcore
カルチャー、アート、テクノロジー、ビジネスなど、消費者を取り巻く多様なテーマをThe Rest Is Sheepのフィルターを通して紹介します。結論を出すことよりも、考察のプロセスを大切に。
教皇の愛した絵画

©️The Rest Is Sheep
2025年4月21日、第266代ローマ教皇フランシスコが88歳でその生涯を閉じた。12年にわたる教皇在位中、彼は貧困層や社会の片隅に追いやられた人々への献身を貫き、謙虚で人間らしい姿勢で世界中の人々から愛された。気候変動への警鐘、難民支援、宗教間対話の推進など、現代の課題に果敢に取り組む彼の姿は、カトリック教会を超え、広く世界に影響を与えた。
フランシスコの死は、2024年に公開された映画『教皇選挙(Conclave)』が描くバチカンの緊迫した後継者選びの舞台を現実のものとした。コンクラーヴェの厳粛な儀式がその裏側も含めて注目される中、彼の遺した影響はバチカンを超えて世界に響き続けている。フランシスコは、芸術が信仰を深め、人々の心をつなぐ力を持つと信じていた。その信念を体現するかのように、彼の強い意向で2025年大阪・関西万博で展示されている、バロック期の巨匠ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571-1610年)の傑作『キリストの埋葬』は、バチカンから遠く離れた大阪で、万博を訪れる人びとに深い思索を呼び起こしている。
芸術、とりわけ絵画に対するフランシスコの深い愛情はこれまであまり広く知られることはなかったが、幼少期から美術に親しんだ彼の感受性は生涯を通じて変わることがなかった。彼は特にカラヴァッジョの作品に心を奪われたが、なかでも、神の呼びかけと人間の迷いや葛藤を劇的に描いた『聖マタイの召命』については、自身の信仰観と響き合うものとして、その指し示す意味の深さにたびたび言及していた——。
『聖マタイの召命』
『聖マタイの召命』は、新約聖書の「マタイによる福音書」(9:9)に描かれた場面をもとにしている。
イエス・キリストはヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けた後、荒野で40日間の断食と悪魔(サタン)からの誘惑に耐え、公の場での活動を開始した。これがいわゆる「公生涯」の始まりである。この頃、イエスはガリラヤ湖周辺を歩きながら、自らの使命をともに担う弟子たちを探していた。
イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。
『マタイによる福音書 』(9:9)
ローマ帝国の徴税人として働くマタイが、イエスに「わたしに従いなさい」と呼びかけられ、すべてを捨てて弟子となる瞬間。上に引用した通り、聖書の記述は簡潔だ。この出会いは即座に始まり、そして、滞りなく完了したように描かれている。しかし、カラヴァッジョはこの場面をより劇的かつ複雑に、まったく新しい人生への呼びかけと、それに対する戸惑いや抵抗を含む、より現実的な光景として描き出した。場面は、薄暗い部屋。みすぼらしく、雑然とした空間だ。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ『聖マタイの召命』
絵画は左右で構成が分かれており、右側には、たったいまこの部屋に足を踏み入れた二人が立つ。手前には、すでにイエスの弟子となっていたペトロ。そしてその奥に、部屋に差し込む光で首と頬が照らされた人物。頭上にはこの人物がイエスであることを表す光輪がかすかに描かれている。差し込む光が照らした上方の窓枠が浮かび上がらせた十字は、神の計らい、すなわち後に訪れるイエスの磔刑の予兆となっている。

とはいえイエスの身体の全貌はペトロの身体と影に隠れ、その姿はあくまで控えめだ。カラヴァッジョはイエスをペトロのうしろ、最も暗く、見る者から最も遠い場所に配置した。そして、イエスはその暗い場所から控えめに、しかし確かな意志をもってマタイを指で指す。当選のジェスチャーだ。「あなただ。あなたが欲しい」
ミケランジェロからの霊感
カラヴァッジョによるこの指の表現は、この作品が描かれる約100年前にミケランジェロ・ブオナローティがシスティーナ礼拝堂の天井画『アダムの創造』で描いた、神とアダムの指先が触れ合う瞬間への明確なオマージュとなっている。

ミケランジェロ・ブオナローティ『アダムの創造』
カラヴァッジョは、ミケランジェロの「アダムの手」を左右反転させてイエスの手として描いた。それは、エデンの園で知恵の樹の実(禁断の果実)を食べるという罪を犯し堕落したアダムに対し、第二のアダムとして生まれたイエスの役割を暗示している。神とアダムの指先が「今にも触れそうで触れない」この絶妙な距離感は、人間と神の関係性を象徴し、その緊迫感は後世の芸術家たちに大きな影響を与えた。

ちなみに、この「指と指の間に宿る創造の瞬間」は、現代のポップカルチャーにも受け継がれている。たとえば、映画『E.T.』の有名なポスターでも、宇宙から来た異星人E.T.と少年エリオットの指先が触れ合おうとする構図が描かれており、ミケランジェロの『アダムの創造』を強く想起させる。

『E.T.』
カラヴァッジョの『聖マタイの召命』は、単なるミケランジェロの模倣にとどまらない。指差しというシンプルな動作を通じて、「選び」という新しい人生への決定的瞬間が凝縮されている。
予期せぬ、そして望まれざる指名
『聖マタイの召命』でイエスが指を指す先、つまり絵画の左側には、ローマ帝国の徴税人、金勘定人たちが陣取っている。中央の髭を生やした男性がマタイで、この予期せぬ、そして望まれざる指名に対し、左手の人差し指で自分の胸を指し「俺じゃないだろ?」と不信感をあらわにする(美術史家たちは、どの人物がマタイを表しているのか議論しているが、ここではこの人物をマタイとみなして進める)。そして、もう一方の手で、反射的にテーブルの上の現金をつかむ。

絵の左端に配置されたマタイの二人の同僚は金を数えることに夢中で、テーブルから顔を上げることもない。一方、その二人とはマタイを挟んで座る、中央の二人は羽根つきの帽子を被り、突然の訪問者、イエスとペトロを訝しむ。背を向けた男性はペトロの方へ身を乗り出し、その左手は背中の剣に伸びかけているように見えるが、ペトロはそれを牽制するかのように彼を指差している。
カラヴァッジョの絵画では、かつては補助的な要素に過ぎなかった「光」が、構図全体の骨格を成す存在へと昇華されている。光はイエスとペトロの頭上から窓の右下隅を幾何学的にかすめ、イエスの手と平行に一直線にマタイへと差し込み、まさに「選び」の瞬間を照らし出す。この光の演出こそ、カラヴァッジョの代名詞である「キアロスクーロ(明暗法)」だ。カラヴァッジョの光と影は、単なる視覚効果ではない。それは、神の呼びかけが平凡で罪深い者にも届く瞬間を象徴する。カラヴァッジョはイエスの手の表現をミケランジェロから借用することで、人間と神の深い繋がりを表現したのだ。
この絵の魅力は、登場人物の生々しい感情にある。マタイの驚きと躊躇、硬貨を握る手の執着、金銭に没頭する仲間たちの無関心、剣に手を伸ばす若者の警戒心。これらは、呼びかけを受けた人間の複雑な心を映し出す。この「迷い」と「執着」の姿こそ、カラヴァッジョが描きたかった人間の弱さと神の呼びかけのドラマだ。
マタイに見る自己:教皇の内省
マタイのような徴税人は、ローマ帝国の支配のもとでユダヤの同胞から税を取り立て、しばしば不正に私腹を肥やす「汚れた存在」として、ユダヤ社会では極端に嫌われ、疎まれていた。
聖書には先ほどのマタイ召命の簡潔な一節に続けて、こんなエピソードが記されている。
イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
『マタイによる福音書 』(9:10-13)
イエスはこのように、社会から疎まれる徴税人たちにも憐れみと共感の眼差しを向け、彼らをも弟子として「召命」し、ともに食卓を囲むことを選んだ。そして、かつては徴税人として生きていたマタイも、イエスのその呼びかけに心を動かされ、信仰の道へと踏み出すことになる。
教皇フランシスコは、カラヴァッジョがこの場面を描いた『聖マタイの召命』に、自分自身の物語——社会の周縁に置かれた人々への愛を大切にするという自己の信仰心、そして「教皇への即位」という自身にとっての「選び」の場——を重ねていた。
フランシスコは、教皇に即位した直後、2013年のインタビューで「私は「主に見つめられた罪人」なのです」と語ったあと、カラヴァッジョのこの絵画に言及している。「イエスがマタイを指差している、あの指です。あれは私なのです。私はマタイのような存在だと感じます」
フランシスコの言葉は「私の心を打つのはマタイのしぐさです」と続く。「彼は金をしっかりと握りしめて、「いや、私じゃない!このお金は私のものだ!」とでも言いたげです。まさにそれが私です。主がそのまなざしを向けた罪人なのです。そして、枢機卿たちから教皇に選ばれることを受け入れるかどうか尋ねられたとき、私はまさにそのことを考えていました」
日本への贈り物
2025年4月13日に開幕した大阪・関西万博のバチカンパビリオンには、カラヴァッジョの傑作『キリストの埋葬』が展示されている。これはバチカン美術館が所蔵する唯一のカラヴァッジョ作品であり、その貸し出しは教皇フランシスコの強い意向によって実現したものだった。
絵画が描く「埋葬」は、使命を果たしたイエスが弟子たちにその精神を託し、この世を去る場面。奇しくもその公開からわずか8日後、フランシスコ自身がその生涯を閉じたことは、深い余韻を残す出来事となった。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ『キリストの埋葬』
フランシスコにとって、カラヴァッジョの作品は単なる美術品にとどまらず、信仰と自己認識の鏡でもあった。特に『聖マタイの召命』は、彼自身の人生を映し出すような存在だった。マタイが戸惑いながらも神の呼びかけに応えたその瞬間——罪深く、迷い、抵抗する魂にまで届く光——それはまさにフランシスコが語った「主に見つめられた罪人」としての自己認識そのものだった。
カラヴァッジョの光は、どんな暗闇にも届く神の恩寵の象徴であり、その生涯を通じて教会の門戸を広げ、周縁に置かれた人々、社会から見捨てられた人々に手を差し伸べたフランシスコの使命とも響き合う。そして今、『キリストの埋葬』は大阪の地で、フランシスコの遺志とともに人々に語りかける。
「あなたもまた、選ばれている」
たとえマタイのように戸惑いや抵抗があっても、光は確かにそこに差し込む。教皇フランシスコの人生とカラヴァッジョの芸術は、どれほど迷い、罪深い者であっても、その光が必ず届くことを静かに、しかし力強く伝えている。
🐏 Behind the Flock
“Sheepcore”で取り上げたテーマをさらに深掘りしたり、補完する視点を紹介します。群れの中に隠された本質を探るようなアプローチを志向しています。
1. 教皇フランシスコがカラヴァッジョに見たもの
教皇フランシスコは、芸術が人間の葛藤や救済の可能性を表現する力を持つと理解していた。特にお気に入りだったカラヴァッジョの絵画『聖マタイの召命』は、霊的な目覚めと現世への執着の間で揺れる人間の姿を描いている。徴税人として机に座るマタイが、光の筋に照らされながらも戸惑う様子は、神の呼びかけに対する躊躇を象徴している。フランシスコ自身もまた、変化を恐れながらも高次の使命を受け入れる苦闘を理解していたのだ。彼の教えには、どのような境遇の人にも救済の可能性があるという信念が込められており、最も意外な場所にも神の愛が宿ると説き続けた。
2.ローマ教皇庁パビリオンでカラヴァッジョ『キリストの埋葬』が公開
「ここに、この素晴らしい作品(カラヴァッジョ『キリストの埋葬』)が展示されたことを、何よりもまずフランシスコ教皇に感謝したいと思います。何百万人もの人々に鑑賞してもらえるよう、バチカン美術館所蔵の唯一のカラヴァッジョの名画を、教皇ご自身が望まれ、いえ、切望されてここ大阪に運ぶようお決めになりました。フランシスコ教皇は、この6ヶ月の間に開催される様々なイベントを通し、このパビリオンをきっかけとして対話と論議の機会を生み出すことを望まれたのです」(リーノ・フィジケッラ大司教)
3. 枢機卿たちはコンクラーベのガイダンスとして映画『教皇選挙』を見ている
カトリック枢機卿たちは、新教皇選出のための実際のコンクラーベを前に、映画『教皇選挙』(2024年公開)を「予習」に活用しているという。この映画はエドワード・バーガー監督が手がけ、ラルフ・ファインズが枢機卿団の長を演じ、教皇選挙の舞台裏を描く。関係者によれば、その内容は現実に驚くほど近く、一部の枢機卿は劇場で視聴し、儀式やバチカン内部の複雑な力関係を学んでいる。特に今回のコンクラーベには、故フランシスコ教皇が任命した経験の浅い枢機卿が多く含まれており、映画は貴重な参考資料になっているようだ。
🫶 A Lamb Supreme
The Rest Is Sheepsが日常で出会った至高(笑)の体験をあなたにも。
士郎正宗の世界展~『攻殻機動隊』と創造の軌跡~
サイバーパンクの金字塔『攻殻機動隊』で知られる士郎正宗初の大規模展覧会開催😎
SF漫画界の巨匠・士郎正宗の世界が2025年4月12日(土)から8月17日(日)まで世田谷文学館で楽しめる。『攻殻機動隊』で一世を風靡した彼は、1985年『アップルシード』デビュー時から先を行く技術感覚で読者を魅了してきた。緻密な絵と情報量たっぷりの世界観、そして欄外までぎっしり詰まった作家の熱いコメントが、作品の魅力を何倍にも膨らませている。
今回は『ブラックマジック』『アップルシード』『ドミニオン』など代表作の原稿はもちろん、普段見られない蔵書や秘蔵コメントも大公開!クリエイターも夢中になる士郎ワールドの謎に迫る、世田谷文学館30周年の集大成イベント🐏
すべての誤字脱字は、あなたがこのニュースレターを注意深く読んでいるかを確認するための意図的なものです🐑
この記事が気に入ったら、大切な誰かにシェアしていただけると嬉しいです。
このニュースレターは友人からのご紹介でしょうか?是非、ご登録お願いします。
↓定期購読はコチラから↓