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#067_Sheep プロットなき時代のストーリーテラー
2025年末、企業はあらためて「ストーリーテリング」を求めている。GoogleやMicrosoftがストーリーテラーを採用し、その報酬が高額になることも珍しくない。もっとも、ストーリーテリング自体は今に始まった話ではなく、2000年代以降、物語は「ビジネスの万能薬」として語られ続けてきた。ところが、その動きと並行して、文化批評の世界ではまったく別の兆しが現れている。ストーリーは、力を失いつつある──そう語られ始めているのだ。出来事を因果で束ね、意味を回収していく「プロット」への信頼が、静かに崩れ始めたからである。物語そのものが疑われる時代に、なぜ企業はなお、物語を必要とするのか。この一見矛盾した状況を手がかりに、いま本当に求められている「ストーリーテラー」の姿を探る。

“The Rest Is Sheep”は、デジタル時代ならではの新しい顧客接点、未来の消費体験、さらには未来の消費者が大切にする価値観を探求するプロジェクトです。
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The Rest Is Sheepより、謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
年末の配信からほどなく、新しい年を迎えました。穏やかなお正月をお過ごしでしょうか。2026年のはじまりに、あらためてこの場所に立ち寄ってくださり、ありがとうございます。
文化やトレンド、テクノロジーが目まぐるしい速度で交錯する時代にあって、何を手がかりに未来を思い描くのか──今年も答えを急ぐことなく、背景や文脈を丁寧に辿りながら、私たちなりの視点と思索を皆様にお届けしてまいります。
皆様にとっての2026年が、穏やかで豊かな思索に満ちた一年となりますように。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。🐏🐕
🔍 Sheepcore
カルチャー、アート、テクノロジー、ビジネスなど、消費者を取り巻く多様なテーマをThe Rest Is Sheepのフィルターを通して紹介します。結論を出すことよりも、考察のプロセスを大切に。
プロットなき時代のストーリーテラー

©️The Rest Is Sheep
おはようございます。
ああ、後ろのほうで立ってる人、前のほう空いてますよ、どうぞどうぞ。はい、それでは新年最初の講義を始めたいと思います。本年もよろしくおねがいします。
さて、今日はまず、最近のニュースから入ってみましょう。最近、って言ってももう去年の話になりますが(笑)、2025年12月、The Wall Street Journalがこんな記事を出しました。タイトルは、「企業は必死にストーリーテラーを求めている」。
記事によると、GoogleやMicrosoft、USAA(軍関係者とその家族向を対象とした金融サービス会社)といった大手企業が、「ストーリーテラー」という肩書きで、次々と人材を採用しています。LinkedIn上での「ストーリーテラー」の求人広告は2024年から2025年の1年間でほぼ倍増したそうです。
しかも、ここで語られているのは、流行り言葉としての肩書きの話ではありません。たとえば、コンプライアンステクノロジー企業のVantaは、「ストーリーテリング部門長」を年俸最大27万4,000ドルで募集しました。Microsoftは「ナラティブ&ストーリーテリング統括」、GoogleはCloud部門のストーリーテリング専門職、Notionは10人規模のストーリーテリングチームを組成しています。
──ここまで聞くと、「なるほど、いまはストーリーテラーの時代なんだな」と思うかもしれません。けれど、ここで一つ、素朴な疑問が浮かびませんか?
ストーリーテリングって、そんな目新しい話でしたっけ?
ストーリーテリング・ブームの遺産
実際、「ストーリーテリング」という言葉は、2000年代以降、企業やブランド、様々な組織の中でずっと使われ続けてきました。データを見ると、2000年から2022年のあいだに、印刷物における「ストーリーテリング」という言葉の使用頻度は約3倍に増えています。
この時期、多くの企業や大学のキャリアセンターなどが「Chief Storytelling Officer(最高ストーリーテリング責任者)」という肩書きを用意し、LinkedInのプロフィールにも「ストーリーテラー」という自己紹介が溢れました。シャンプーのボトルにまで「Our Story(私たちのストーリー)」が記載される始末です(笑)。

SheaMoisture
当時、ストーリーテリングは「ビジネスコミュニケーションの万能薬」として歓迎されました。顧客を惹きつけ、ブランド価値を感情的につなぎ、企業文化を共有する──その背後にあったのは、「すべてはストーリーで説明できる」という、かなり強い信念です。ブランドの成り立ちも、企業の意思決定も、失敗や転換点さえも、出来事を物語として整理し、筋の通った話として語ることができれば、人はそれを理解し、共感し、納得したうえで前に進むことができる。そう信じられていました。
アネット・シモンズが2007年の著書『Whoever Tells the Best Story Wins(感動を売りなさい:相手の心をつかむには「物語(ストーリー)」がいる。)』で「よりよいストーリーさえ語れれば、世界の問題はすべて解決できる」と主張したのは、このムードを象徴しています。
世界がわかりにくくなるほど、人々は「筋の通った話」を欲しがる。きっちりと構築されたプロット(plot)を持つストーリーが、政治にもマーケティングにも、自己物語にも輸出されていきました。
ちなみに、ここではプロットという言葉を、単に時系列に沿って出来事が並んだものではなく、出来事を因果で束ね、意味を回収する構造のことを指しています。この「プロット」という言葉は、今日はこのあと何度も顔を出します。講義の後半であらためて整理し直しますので、いまは「大事な言葉なんだな」くらいで受け取ってもらえれば大丈夫です。
ストーリーはなぜ信頼を失ったのか──「語りすぎた世界」で起きたこと
ところが、です。ビジネスの世界で「ストーリーテリング」への期待や信頼が高まっていくのと並行して、文化批評の領域では、まったく逆の声が聞かれるようになっていきました。
象徴的なのが、2022年に文芸批評家ピーター・ブルックスが刊行した『Seduced by Story: The Use and Abuse of Narrative(物語に誘惑されて)』です。ブルックスがここで問題にしたのは、彼の言葉でいう「現実の物語化(storification of reality)」でした。

Seduced by Story
私たちはストーリーにすると、世界がわかった気になります。出来事が因果でつながり、意味があり、どこかに「落ち」があるように見える。でも、ブルックスは言います。それはしばしば、世界を「必要以上にわかりやすくしすぎている」のではないか、と。
伝統的なストーリー、とくにプロット中心の物語は、世界を「一貫していて」「目的に向かって進んでいくもの」として描きがちです。けれど現実は、本当はもっと雑然としていて、矛盾だらけで、回収されない出来事の連続です。
にもかかわらず、強いプロットを当てはめてしまうと、世界は「都合よくまとまりのいい話」に整理されてしまう。ちなみに、この問題が最もわかりやすく表れるのが陰謀論だと言われています。研究によれば、陰謀論は「明確な敵役」、「隠された真実」、「劇的なカタルシス」といった、「良いストーリー」の条件を完璧に備えていることが指摘されています。事実かどうか以前に、物語として気持ちいいから信じられてしまうというわけですね。
哲学者のJ・デイヴィッド・ヴェルマンは、これをさらに辛辣に表現します。「物語はしばしば、「理由もなく信じてもらう」ために利用される」と。プロットの心地よさが、「本当かどうか」を追い越してしまう瞬間です。ストーリーは「意味を与える装置」であると同時に、「思考停止を促す装置」にもなってしまうのです。
ポスト・ナラティブと「プロットの喪失」
そして決定的だったのが、「そもそも物語が成立する条件そのものが変わった」という指摘です。
韓国出身で、ドイツで活躍する哲学者、韓炳哲(ハン・ビョンチョル)は、2024年の著書『The Crisis of Narration』で、私たちはいま「ポスト・ナラティブの時代」に生きていると述べました。今日の講義の中で「ナラティブ」という言葉が初めて出てきましたね。この言葉の定義については、講義の後半で先ほどの「プロット」という言葉とともにあらためて整理しますが、今の段階では、「ポスト・ナラティブ」という言葉について、「物語が、世界を理解し、意味づけるための枠組みとして、かつての力を失いつつある状態」くらいで受け取っておいてください。
ハンがそう考える理由は、大きく二つあります。
一つ目は、注意力の断片化です。本来、物語には時間が必要です。少しずつ情報が開示され、伏線が張られ、あとから意味が立ち上がる。でも今の私たちは、スマホを見ながら本を読み、音声は倍速、動画の会話シーンはスキップする。SNSは瞬間、ニュースは断片、すべてが「いま」に圧縮されている。過去と未来をゆっくりつなぐ「語り」が、成立しにくくなっています。
二つ目は、ナラティブ・コミュニティの喪失です。かつて物語は、コミュニティの中で共有されていました。焚き火を囲む神話、教会の説教、家族で観る連続ドラマ。同じ物語を、同じ時間に、同じ文脈で受け取る場があった。でも今は、アルゴリズムによって完全に分断されています。一人ひとりが、別々の物語を、別々のタイムラインで消費している。
こうした環境下で、「ストーリーテリング(Storytelling)」は「ストーリーセリング(Storyselling)」へと変質し、コミュニケーションのテクニックとして機能するようになります。ストーリーは共感を共有するための枠組みというより、意思決定や行動を促すための装置として用いられるようになったのです。その結果、蔓延するのは「あいつらが問題だ(そして真実が我々を救う)」、あるいは、「あなたは傷ついている。それを理解すれば生き方が変わる」といった極端に単純化された物語です──私たちが日々接するニュースや陰謀論、セラピストの声など思い浮かべてみてください。
深く理解される物語ではなく、スクロールされ、消え、忘れられるストーリー。TikTok、Instagramのストーリーズ、24時間で消えていくニュース。資本主義とソーシャルメディア、情報過多が混ざり合い、ほとんどの「物語」は短く、断片化し、繋がりではなく消費のために設計されるようになりました。

The Crisis of Narration
こうした状況を踏まえ、アリゾナ大学哲学科准教授のハンナ・H・キムは、2025年末にLos Angeles Review of Books(LARB)で発表した論考「When Story Loses the Plot(物語がプロットを失うとき)」で、現代文化は「プロット中心のストーリー」を失いつつあると指摘しました。
これは、単に「物語が書かれなくなった」という話ではありません。出来事は相変わらず起きているし、語りも溢れています。問題なのは、それらを一つにつなぎ、「だからこうなった」「つまりこういう意味だ」と回収する「プロットの力」が、文化的に信頼されなくなったことです。
キムが言う「プロットの喪失」とは、世界を因果で整合的に理解できるという前提そのものが、揺らいでいる状態を指しています。彼女の指摘の中で重要なのは、ここです。ストーリーは消えたのではない。ただ、かつての形では信頼されなくなった。あるいは、ストーリーは多すぎるほどあるのに、信じられるストーリーがない。
ここで、冒頭の話を思い出してください。2026年を迎えたいま、企業は必死に「ストーリーテラー」を求めているのでした。
片方では「ストーリーはもう力を失っている」「ポスト・ナラティブ」と論じられる。もう片方では「ストーリーテリングがこれからの競争力だ」「ストーリーテラーに30万ドル払う時代だ」と言われる──一見矛盾しているように見えるこの状況を、私たちはどのように理解すれば良いのでしょうか?
それでも、なぜ企業はストーリーテラーを求めるのか
改めて企業側から、この状況を見てみましょう。冒頭でご紹介したThe Wall Street Journalの記事などをよく読むと、いま企業が求めている「ストーリーテラー」がどういうものか、見えてきます。
従来、企業のストーリーテリングは「アーンドメディア」に頼ってきました。つまり、新聞やテレビ、雑誌といった伝統メディアに取り上げてもらうことで、自社の「ストーリー」を世の中に届けていたわけです。ジャーナリストという第三者が、企業の情報を取材し、信頼できる形で報道してくれる。企業側からすれば、これほど強力な信頼装置はありませんでした。
ところが、皆さん御存知の通りこの構造は崩壊しつつあります。数字を見てみましょう。ノースウェスタン大学メディル・スクール・オブ・ジャーナリズムの『The State of Local News』によると、アメリカでは、新聞の発行部数が2005年から70%減少、主要100紙のウェブサイト閲覧数も、過去4年で40%以上減少しました。ジャーナリストの数は、2000年の約6万6,000人から、2020年代には4万9,000人以下に落ち込んでいます。
つまり、企業の物語を代わりに語ってくれる人が、どんどんいなくなっている。
そして、それと同時に起きたのが、企業自身が「オウンドメディア」を持つようになったことです。SNSアカウント、YouTubeチャンネル、企業ブログ、Substackニュースレター。企業は今や、記者を経由せずに、直接、顧客や投資家、求職者に対して、自分で自分の物語を語ることができます。
さらに、生成AIの登場が決定打となりました。AIは、それっぽい「プロット」を無限に生成できます。「弊社は19XX年に創業し、紆余曲折を経て、今や社会貢献を第一に掲げ……」といったテンプレート通りのストーリーは、今や数秒で何百通りでも作ることができます。結果として、ネット上にはAIが生成した「中身の希薄な物語」が溢れかえり、人々のあいだには、そうした語りに対する違和感や疲労感──いわば「ストーリー疲れ」が広がっています。
そして、こうした「信頼の空白」を埋めるために、企業は自ら「ナラティブの所有権(Owned Narrative)」を握る必要に迫られました。
では、具体的に企業は何を求めてるのか。いくつか事例を見てみましょう。
Google Cloud:2025年11月、GoogleはGoogle Cloudのストーリーテリングチームに加わる「カスタマーストーリーテリングマネージャー」を募集しました。求人には、「私たちはストーリーテラーとして、顧客獲得と長期的な成長を推進する上で不可欠な役割を担っている」とあります。ただし、ここで求められている「ストーリーテラー」は、かつてのように創業者の苦労話や、成功に至る感動的なドラマを語る人ではありません。彼らのチームが発表した記事の一つに、「Lowe’sの革新:Vertex AIがインタラクティブなショッピング体験をどう創出するか」というものがあります。タイトルからして、感情を揺さぶるクライマックスは想定されていない(笑)。ここで語られているのは、Lowe’sという具体的な小売企業の現場で、AIがどのように買い物体験を変えたのか、そのプロセスと結果です。出来事をドラマとして再構成するのではなく、事実のディテールを解像度高く提示していく。起承転結はないけれど、「手触り」はある。つまり、ここで起きているのは、ストーリーの消失ではなく、プロット中心の語りからの離脱です。ドラマティックな筋書きではなく、具体的な事実の積み重ねから立ち上がる「本物感」こそが、いま企業のストーリーテリングに求められているものなのです。
Microsoft:セキュリティ部門の「ナラティブ&ストーリーテリング担当シニア・ディレクター」の職務内容を見ると、「サイバーセキュリティ技術者であり、コミュニケーターであり、マーケターである」と。技術を理解し、それを人間の言葉で語り、価値として伝える人です。
Notion:10人規模の「ストーリーテリングチーム」には、広報、ソーシャルメディア、インフルエンサー対応が統合されました。すべてのチャネルで一貫した「声」を生み出す体制です。
共通点が見えますか?どれもプロットをもとにストーリーを組み上げる人じゃないんです。
ニューヨーク拠点のコミュニケーション会社、Hirsch LeatherwoodのCEO兼共同創業者、スティーブ・ハーシュは、WSJの取材にこう答えています。「最近、CEOの側から「従来のPR戦略ではなく、コンテンツ戦略が必要なのではないか」と相談を受けることが増えている。彼らは、AIによって量産される表層的なコンテンツが不信感を生むなかで、いま成功しているブランドは、より本物らしく、人間味があり、共感できる存在であることを理解しているのです」
この発言に全部詰まってるんです。企業が求めてるのは、AI生成コンテンツとは区別できる「本物感(Authenticity)」、共感できる、血の通った声といった「人間性(Humanity)」、仲介者を通さず、自分たちの言葉で語る「直接性(Directness)」、そして一貫した視点とムードの維持という「継続性(Consistency)」。これらは、プロットとは関係ないんです。
どれも共通しているのは、彼らが求めているのがプロットをもとに「感動的な物語を書く人」ではない、という点です。技術を理解し、現場を知り、顧客インタビューを行い、データを読み解き、それを複数のフォーマット(ブログ、動画、イベント登壇、SNS投稿)で語り直せる人。それが、いま、企業が求めている「ストーリーテラー」なんです。
文化側の変容──プロットは失われたが、ナラティブは残った
一方で、文化側の議論に戻ると、ハンナ・H・キムは、「ストーリーは消えた」と言っていたわけではありません。彼女が指摘するのは、あくまでもプロット──出来事を因果で束ね、意味を回収する構造──への信頼の崩壊です。
この考え方を精査する前に、一度、用語を整理しておきましょう。ちなみに、これは、必ずしも物語論(ナラトロジー)における定義を厳密に踏襲しているわけではないということを補足させていただきます。
Narrative(ナラティブ):より抽象的で、最も広い概念です。出来事や経験が、どのように意味づけられ、配置されるかという「意味を生成する構造」そのもの。たとえば「この会社は革新的だ」というナラティブがあれば、同じ製品発表でも「また新しいことに挑戦している」と見える。でも「この会社は守りに入っている」というナラティブが受け手に共有されていると、同じ発表が「やっぱり保守的だ」と見える。つまり、「何が起きたか」以前に、私たちが世界をどう切り取り、どう理解するかという「見方の枠組み」です。
Story(ストーリー):狭義では、生の出来事そのもののことを指しますが、この講義の文脈では、ナラティブという枠組みの中で語られる、特に私たちが馴染み深いプロット中心の「物語形式」のことを指しています。2000年代にブームになったのは、この「完成された物語」でした。
Plot(プロット):ストーリーの骨組み。出来事の因果関係(なぜそうなったか)を定義する構造。
2000年代にビジネス界で流行した「ストーリーテリング」で語られる物語は、このうち主に「プロットを備えたストーリー」のことを指していました。スタートアップの成長譚、サクセスストーリー、感動的なエピソード──きれいな起承転結を持つ「The Story」です。
そして、キムが「力を失った」と言っているのは、この「プロット」です。現代の私たちは、あまりに複雑で、あまりに断片的な現実を前にして、一つのプロット(と、それにもとづいたストーリー)で全てを説明されることに「嘘くささ」を感じるようになってしまったわけです。
じゃあ、私たちはもう世界を理解する意味的な枠組み(ナラティブ)を必要としないのでしょうか?そうではありません。むしろ、AIが生成したコンテンツが溢れ、誰も何も信じなくなった世界で、真正性のあるナラティブの価値は上がっている。
キムの論考では、現代のナラティブはプロットから離れつつ、意味生成の欲求を捨ててないんです。彼女はこう言います。「ポスト・ナラティブの世界に生きるということは、ナラティブを放棄することではなく、(プロットとは)異なる方法でそれを駆動することである」
じゃあ、その「異なる方法」とは何か?キムは4つの例を挙げています。
キャラクター:特定の「タイプ」への没入。「メインキャラクター」「NPC(ノンプレイヤーキャラクター/モブ)」「カレン(自己中心的で権利意識が強いキャラクター)」──こうしたラベルは、複雑な人間を単純な類型に還元します。でもそれによって、即座に理解可能なキャラクター性を提供する。プロットは「時間の中での因果関係」で意味を作ります。「AがあったからBになった」という時間的な連鎖。でもキャラクターは、時間を超えた一貫性で意味を作る。「この人はこういう人だから、こう行動する」。たとえば「あの人はいつもそうだよね」という一言で、複雑な状況が一瞬で理解できる。過去→現在→未来という流れではなく、「その人らしさ」という固定された属性が、あらゆる行動に意味を与えるんです。企業が「エグゼクティブの人間的な側面」や「現場の社員の顔」をストーリーテラーに語らせたがるのは、プロット以上にキャラクターの質感が信頼を生むからです。
ムード(雰囲気・情緒):「なんとなくいい感じ」「エモい」。論理(プロット)ではなく、情緒的な質感でつながること。『ドライブ・マイ・カー』は、40分経過するまでタイトルすら表示されない──つまり正式な開始すらしない作品であるにもかかわらずアカデミー国際長編映画賞を受賞しました。高い評価をされた『ノマドランド』、『パーフェクト・デイズ』、『フロリダ・プロジェクト』といった映画は、主人公たちの日常の質感を通じ、従来の「導入・展開・クライマックス・決着」という物語の弧を放棄している。これらの作品において、一貫性と満足感は出来事の推進力からではなく、キャラクターとムードへの没入から生みだされているのです。これは映画だけの話じゃありません。最近の企業のブランディング動画を思い出してください。スペックの説明は一切なく、ただ美しい光、音楽、生活の質感だけが映し出される。「この製品を使うと、こんな気分になれる」──それが全てです。これこそ「ムードによるナラティブ」なんです。
アイデンティティ・ラベル:「私はINTJ型だから」「私は山羊座だから」「私たちZ世代は」──精神医学的診断、性格テスト(MBTI、エニアグラム)、占星術、世代マーカー。哲学者エリザベス・キャンプと人類学者マンヴィール・シンは、これらのアイデンティティ・ラベルが、意味生成のツールになっていると指摘してます。プロットが「あなたはこういう経験をしたから、こうなった」という時間的な説明を提供するのに対し、アイデンティティ・ラベルは「あなたはこういう人だから、これが意味を持つ」という即時的な説明を提供する。企業はもはや「製品」を売るのではなく、その製品を使うことで得られる「アイデンティティ」を提示するナラティブを構築しています。「Appleユーザー」「Patagoniaを着る人」──それは単なる消費行動じゃなくて、「私は何者か」という自己定義なんです。
ゲーム(ゲーミフィケーション):フィットネストラッカーや言語学習アプリのストリーク、営業のリーダーボード。これらは行動をゲームの進行として構造化します。レベルアップ、達成バッジ、ランキング。プロットが「最後にどうなるか」という結末に向かって進むのに対し、ゲーミフィケーションは「今日も進んでいる」という日々の積み重ねに意味を見出させる。Duolingoの「連続365日達成!」に何の意味があるのか(笑)?でも、達成感はある。物語的な因果関係はないけど、目標に向かって進んでいる感覚がある。終わりのない進行。それが現代のナラティブです。
これらに共通しているのは、結末を待たなくても意味を感じさせるという点です。プロットが「最後に納得させる構造」だとすれば、キャラクターやムードは、「その場で信じさせる構造」なんです。
なぜ「プロットなき時代」に「ストーリーテラー」が必要なのか
一見すると、「ストーリーは終わった」という文化批評と、「ストーリーテラーに大金を払う」というビジネスの動きは、正反対のことを言っているように見えます。しかし、これらは同じ地殻変動を、別の角度から見ているに過ぎません。
もう一度、整理しましょう。
キムが言ってるのは:
Plot(プロット)は力を失った:因果律連鎖をもとにしたストーリーへの信頼の崩壊
でもNarrative(ナラティブ)は必要:意味への欲求は消えない
ただし別の構造で駆動される:キャラクター、ムード、アイデンティティ、ゲーム化など
企業が求めてるのは:
Narrative(ナラティブ)を構築できる人:意味の枠組みを設計する
でも必ずしもPlot(プロット)中心じゃない:因果的なドラマは要らない
むしろ視点、関係性、体験、ムードを重視:新しい駆動力を使う
つまり、「ストーリーテリング」という同じ言葉が、2000年と2025年で全く違うものを指しているんです。
2000年代:プロット中心の完成されたストーリーを語ること、「感動的な話で人を動かす」プロットという魔法が効いた時代
2025年〜:多様な構造によるナラティブを構築すること、「一貫した声と姿勢で信頼を作る」、プロットという魔法が解けた後の世界
私たちは今、「プロット中心の物語が、文化的に信頼を失った世界」に生きています。そこは、情報の断片が浮遊し、AIが吐き出した意味の亡霊が漂う砂漠のような場所です。
だからこそ、企業は必死になっています。プロットという「古くなった魔法」が解けてしまった後、どうすれば人々にもう一度「意味」を感じてもらえるのか。どうすれば、バラバラになった情報の断片を、新しい方法で繋ぎ合わせることができるのか。
現代のストーリーテラーが担っているのは、人々を納得させるプロットを作ることではありません。むしろ、「プロットなき現実」という荒野に、人々がしがみつける「キャラクター」や「ムード」といった杭を打ち込み、そこで「私たちが共にいる意味」を再定義すること。これこそが、いま企業が求めているナラティブの再武装の本質です。
誰が「本物のストーリーテラー」なのか?
さて、新年最初の講義もそろそろ終わりの時間です。
皆さんも、自分の人生を一つの「綺麗なプロット」に押し込めようとして、苦しくなることはありませんか?「いつかこの苦労が報われて、ハッピーエンドが来る」という物語が信じられない夜もあるかもしれません(笑)。
でも、今日お話しした通り、世界のトップ企業でさえ、もう「完璧なプロット」なんて信じていないし、語ってもいないんです。彼らが必要としているのは、日々変化し、時には矛盾をはらんでいるようにも感じられる現在進行形の体験の中に、確かな「質感」や「関係性」を見出す力です。
最後に、ある有名なデザイナーの、少し皮肉めいた、けれど非常に深い言葉を皆さんに紹介して、この講義を閉じたいと思います。
グラフィックデザイナーのステファン・サグマイスターは、2014年のインタビューでこう語りました。
「実際に物語を作っている人たち、つまり小説を書いたり映画を撮ったりしている人たちは、自分のことを『ストーリーテラー』だなんて思っていない。自分はストーリーテラーではないと思っている人たちが、突然いま、ストーリーテラーになりたがっているんだ」
……耳が痛いですよね(笑)。けれど、ここには今日お話ししたことの真理が隠されています。
企業が「ストーリーテラー」という言葉を掲げて必死になっているのは、ある意味で、彼らが「本物の物語」を失った場所に立っていると理解しているからかもしれません。かつてのように、ただ製品を作れば、ただ実績を上げれば社会と繋がれた時代が終わった。だからこそ、自分たちに欠けている「物語」という魔法を、喉から手が出るほど欲しがっているわけです。
では、私たちはどうでしょうか。私たちは、自分自身の人生を「ストーリー」として演出し、自称「ストーリーテラー」としてSNSに投稿することに、少しばかり一生懸命になりすぎてはいないでしょうか。
もしそうなら、一度その看板を下ろしてみてもいいかもしれません。小説家が「私はストーリーテラーだ」と叫ぶ暇もなく物語を紡ぐように、私たちもまた、自分の人生を「どう語るか」に汲々とするのではなく、今ここにある「ムード」や、目の前の人との関わりという「テクスチャ」に、ただ没入してみる。
「ストーリーテラー」を名乗ることをやめた瞬間、皮肉にも、あなたの人生の「本物のナラティブ」が動き出すのかもしれない——2026年、私はそう思います。
さて、新年最初の講義はここまで。それでは、本年もよろしくお願いします。お疲れさまでした!
🎙️ポッドキャストはコチラ!
※ 生成AIが客観的な視点でレビューしています🐏🐕
🐏 Behind the Flock
“Sheepcore”で取り上げたテーマをさらに深掘りしたり、補完する視点を紹介します。群れの中に隠された本質を探るようなアプローチを志向しています。
1. 企業は必死にストーリーテラーを求めている
米国企業で「ストーリーテラー」を冠した職種の需要が急増している。これは小説家のような語り部ではなく、ブログやポッドキャスト、イベントなど多様な手法で自社の物語を直接発信する企業広報・マーケ人材を指す。背景には、新聞や報道記者の減少など既存メディアの縮小と、SNSやニュースレターによる自社発信の拡大がある。AI生成コンテンツへの不信も相まって、経営層はより人間味と真正性のある語りを重視。「ストーリーテリング」は職務を広く定義し、共感を軸に人材を惹きつけるための言葉として定着しつつある。
2. マイクロソフトは「ストーリーテラー」の職に30万ドルを支払っている
Microsoftが「ストーリーテラー」に年収30万ドル規模を支払う時代、資金調達の勝敗も実績より語り方で決まるようになっている。LinkedInではストーリーテリング職が倍増し、GoogleやUSAAも専門チームを設置。広告やPRではなく「物語」を自社で所有する戦略が主流だ。一方、GPは今なお型通りの資料と仲介に依存し、語りの主導権を持てていない。しかしLPはリターンだけでなく、思想や人、プラットフォームへの共感で判断する。市場観、独自性、関係性を物語として語れるGPこそが選ばれる。物語はすでに手元にある──それを書き、発信し、育てるかどうかが問われている。
3. 世界で最も古い職業が、今や企業で最も注目される役職名になった理由
テック企業や小売、コンプライアンス企業まで、今「ストーリーテラー」という職種が急増している。GoogleやMicrosoft、Vantaなどは「物語を所有する」人材を求め、LinkedInによれば米国では求人掲載数が前年比で倍増した。だが、その実態は昔話を語る仕事ではなく、マーケティング、広報、技術理解を横断しながら、企業の価値や戦略を一貫したナラティブとして設計・管理する役割だ。Notionが社内外コミュニケーションを統合した例に象徴されるように、分断された情報を「物語」として束ね直すことが、企業成長の鍵とみなされている。最古の職能が、最も現代的な肩書きとして再発明されているのである。
🫶 A Lamb Supreme
The Rest Is Sheepsが日常で出会った至高(笑)の体験をあなたにも。
しばらくお休みです 🐏
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