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#026_Sheep High Lineを建築から守った男
かつて雑草に覆われた廃線だったニューヨークの高架貨物線「High Line」は、いまや世界中から人々を惹きつける空中公園へと生まれ変わった。この奇跡の実現の背後には、「建てることではなく、建てないことで場所をいかす」ことを信じた建築家、Ricardo Scofidioの静かな哲学があった。彼が遺したのは建築物ではなく、都市に対するまなざしそのものだった。2025年3月6日に亡くなった彼の死を悼みながら、High Lineがなぜ唯一無二なのかを改めて見つめ直す。

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🔍 Sheepcore
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High Lineを建築から守った男

©️The Rest Is Sheep
ウディ・アレンが監督・脚本・主演を務めた1979年の映画『マンハッタン』は、ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」の高らかで壮麗なスコア、そしてウディ・アレン自身によるナレーションによって幕を開ける。
“Chapter One. He adored New York City.”
「チャプター1:彼はニューヨークを愛していた」
この言葉とともにカメラが捉えたのは、マンハッタンの西部を南北に走る高架貨物線、通称West Side Lineだった。当時すでにその役目を終えつつあったWest Side Lineは、都市再開発の対象にもならず、長らく人々の視界の外にあった。
1934年に開業し、長らく牛乳や肉類、農産物、そして加工前後の製品などを輸送する役割を果たしていたWest Side Lineの需要は1950年代に入りトラックによる輸送が主流となるなかで急速に低下していく。

“Manhattan” (1979)
1960年代には路線の南端区間が廃止され、やがて線路全体が使われなくなっていった。High Lineを最後に列車が走ったのは、映画『マンハッタン』が公開された翌年、1980年4月のことだ。運ばれていたのは冷凍の七面鳥で、たった3両の貨車に積まれていたという。
The High Line
それから40年以上を経たいま、この高架路線は1.45マイル(約2.3キロメートル)の空中公園へと姿を変えた。子どもたちが走り、恋人たちは肩を寄せ、観光客はスマホを片手に散策を楽しむ。2009年に最初の区間が開園して以来、観光客だけでなくニューヨーカーにも愛されるようになったこの線形公園は、ピューリッツァー賞受賞の建築評論家Paul Goldbergerが「マンハッタン上空の奇跡」と呼ぶ、ニューヨーク、いや、全米において最も詩的な公共空間の一つとなった。

The High Line
しかし、この場所の成功は、決して約束されたものではなかった。1990年代後半、地元の二人の若者、Joshua DavidとRobert Hammondが、解体寸前の錆びついた遺構を救おうと「Friends of the High Line」を立ち上げたとき、彼らには資金も、経験も、政治的なコネもなかった。彼らにあったのは、野花に覆われた廃墟への素朴な愛着と、漠然とした夢だけだった。
この都市の奇跡を現実に変えたその背後には、物静かで控えめな一人の建築家がいた。2025年3月6日、89歳でこの世を去ったRicardo Scofidioである。
High Lineを建築から守る
「建築家としての私の役割は、High Lineを建築から守ることだ」
2004年、Zaha HadidやSteven Holl、Michael Van Valkenburghなど著名な建築家と競い合ったHigh Lineのコンペティションに勝利したScofidioは常にこう語っていた。
元来、建築の世界においては、そこに何を建設するか、何を加えるかというアイデアや提案が求められる。しかし、Scofidioと彼のチーム——Diller Scofidio + Renfro、James Corner Field Operations、庭園デザイナーのPiet Oudolf——は、逆のアプローチを選んだ。廃墟に息づく野花や朽ちた鉄骨など、すでにそこにあるものの声を聞き、それを損なわず、むしろ引き立てることを目指したのだ。
彼らは1.45マイルの鉄骨構造物から不要物を剥ぎ取り、手すりや枕木の痕跡をむき出しにした。採用されたのは、コンクリートのモジュールを組み合わせた歩道システムだ。この舗装板は、かつて線路のバラストから顔を出していた野花のように、新たに植えられた植物が隙間から生えることを可能にした。自然が徐々に空間を奪還するかのような光景は、単なる景観デザインではなく、廃墟が再び息づくプロセスそのものだった。

改装前のHigh Line
都市をめぐる境界を曖昧化する
17丁目付近にHigh Lineから下を走る道路へと沈み込むように設けられた「観客席」も、Scofidioによる都市の再解釈を象徴的に示している。彼はHigh Lineを単なる「歩行者の通路」として設計することを望まず、線形の構造を通じて、むしろその直線性から意識を逸らし、ニューヨークという都市と対話する空間を創り出した。
道路側にせり出したガラス張りの「観客席」から見下ろす10番街には、連なる車列がまるで抽象化された都市のパフォーマンスのように浮かび上がる。赤いテールライトがゆるやかに動くさまは、暖炉の炎を見つめるときのような静謐な没入感を誘い、都市の喧騒を視覚的に再構成する。ここでは、歩く者は都市を眺める観察者であると同時に、その風景の一部として見られる存在ともなり、ニューヨークという巨大な物語に静かに溶け込んでゆく。

High Line Observation Deck
「彼はニューヨークを愛していた」
ウディ・アレンが『マンハッタン』冒頭でニューヨークへの愛を語ったその瞬間、背景に映し出されていたのはセントラルパークでも、ブルックリン・ブリッジでもなく、雑草に覆われたWest Side Lineだった。1979年当時、空中に浮かぶこの高架線をニューヨークのアイコンとしてはもちろんのこと、何らかの「建築」として見ていた者すらほとんどいなかったはずだ。そして当時、この廃墟が40年後に世界中から人々を惹きつける「マンハッタン上空の奇跡」になると誰が想像できただろうか。
いま、High Lineの成功に触発され、廃線や都市の未利用空間を再活用し、魅力的な公共空間へと変貌させる試みが世界中で立ち上がっている。シカゴの「Bloomingdale Trail」、ソウルの「Seoullo 7017」、ロンドンの「Camden Highline」など、いずれもかつての産業インフラを新たな都市のプラットフォームへと転換する試みである。これらは単なる再開発ではなく、都市における公共性やコミュニティのあり方を問い直す実験としても注目され、今やグローバルな都市再生の潮流を形成している。
しかし、これらのプロジェクトの多くは、High Lineが持つ魔法を完全に再現することに苦戦している。
コンクリートの隙間から生える野花、10番街を見下ろす観客席、絶妙な間隔で配置された階段や休憩のためのスペース——ハイラインを特徴づけているこうした要素は一見すると物理的に再現可能なデザイン要素のように見える。だが、High Lineの本質は、そうした目に見える表層にはない。
High Lineを目指して訪れた人びとが同時にニューヨークそのものの文脈に溶け込んでしまうこと、High Lineを歩く人びとは観察者であるとともに観察される存在でもあること、何かを目的に訪れた人に何もしないことを許す場所であること、線形の構造体がむしろその線形性から意識を逸らすよう促すこと、開発によって生まれた構造物が自然に回帰しようとしていること——「建てることによってではなく、建てないことによって場所をいかす」という信念とともにこうしたさまざまな矛盾を受け入れたこのプロジェクトは、数多ある類似の試みによる安易な模倣を拒んでいるかのようだ。

Scofidio
Scofidioの訃報は静かに伝えられた。しかし今なお、High Lineを歩く人々の足元には、彼の思想が確かに息づいている。花が咲き、風が抜け、誰かが立ち止まり、誰かが通り過ぎる——その一瞬一瞬のうちに、Scofidioの創造は生き続けている。
彼が本当に遺したのは、建築という構造物ではなく、「都市の中で何を愛し、何を大切にすべきか」という視点そのものだった。私たちはいまも、その視点を携えながら、この言葉を静かに繰り返すことができる。
“Chapter One. He adored New York City.”
「チャプター1:彼はニューヨークを愛していた」
🐏 Behind the Flock
“Sheepcore”で取り上げたテーマをさらに深掘りしたり、補完する視点を紹介します。群れの中に隠された本質を探るようなアプローチを志向しています。
1. 二人の普通の男たちはどのようにしてHigh Lineを創り出したか
ニューヨークの廃線の取り壊し計画を知ったRobert Hammondは、その保存活動を開始。Joshua Davidと出会い、荒廃の中に咲く野草の美しさに魅せられた二人は、保存団体「Friends of the High Line」を設立し、地域住民を巻き込みながら公園化への道を切り開いた。写真家Joel Sternfeldの作品は、その魅力を広く伝え、活動を大きく後押しした。経済効果も視野に入れ、多くの人々の賛同と資金を得て、High Lineはマンハッタンの新たなランドマークとなった。Hammondは、High Lineの成功は、地域主導の独創的なプロジェクトとして他の都市にも広がる可能性を示唆し、まずは行動を起こし試行錯誤することの重要性を語っている。
2. 「建築から一歩身を引く」
High Lineが成功した要因は、「建築からの撤退」という独自の姿勢にある。廃線跡に自然に生えた植物や風化した構造物といった既存の風景を尊重し、それを壊さず静かに活かすデザインが、人々に新しい都市体験を提供した。何かを加えるより「壊さないこと」を重視したこのアプローチは、過剰な建築的演出に頼る他都市の模倣例と一線を画す。また、何もしない贅沢──ただ歩き、座り、眺めるという体験が、都市生活者にとって新鮮で心地よいものだった点も、大きな魅力となっている。
3. マンハッタン上空の奇跡
High Lineは、廃線となった高架鉄道を取り壊す寸前から一転して、革新的な都市公園として蘇った「奇跡」のプロジェクトである。1990年代、当初は都市開発の妨げとされ解体が進められていたが、市民団体「Friends of the High Line」が保存運動を開始。多くの反対を乗り越え、2009年に第1区間が開園した。産業遺構の魅力を活かしつつ、洗練されたデザインと豊かな植栽によって新たな公共空間へと転換されたその過程は、政治的・社会的・デザイン的ハードルを乗り越えた稀有な成功例として「奇跡」と呼ばれるにふさわしい。
🫶 A Lamb Supreme
The Rest Is Sheepsが日常で出会った至高(笑)の体験をあなたにも。
大阪・関西万博とウラ万博
先週末、4月13日(土)に大阪・関西万博がついに開幕。政府は経済波及効果を累計3兆円と試算する一方、入場券の販売は低調で、目標達成への懸念が広がっている。帝国データバンクの全国約1500社を対象とした調査では、「万博は日本経済にプラスの影響をもたらすか」という問いに56.5%の企業が「期待できない」と回答。政府と民間企業の期待値の乖離は明らかで、一枚岩とならないままスタートを切った模様。この不協和音は東京2020を彷彿とさせるが、自国開催という貴重な機会である以上、成功を願わずにはいられません。
個人的に訪れたいパビリオンは主に二つ。一つはLVMHがメインスポンサーを務め、Louis Vuitton、Dior、CELINEといった名門メゾンの匠の技が披露される『フランス館』。もう一つはドバイ万博でも話題を呼んだCartierが参画する『ウーマンズパビリオン』。真夏の熱気が本格化する前に足を運びたい。混んでるんだろうなぁ。
一方で、静かに応援したいのが「ウラ万博」という取り組みです。万博会場・夢洲を取り囲む港区、住之江区、大正区一帯を舞台に、公式イベントを裏方の地域から支える地域企画。専用リストバンドの提示で特別メニューが楽しめる「万博バル」、オリジナルTシャツの販売、フォトコンテストなど、地元事業者たちが有志で企画・運営しているようだ。 まだ認知度は高くないものの、こういう地域の草の根的な取り組みって良いですよね。そもそも開催地域文化や経済の活性化につながらないと意味ないわけで。万博やオリンピック、MICEといった国際イベントの意義って、開催地の文化や経済の持続的な活性化にあるはず。機会があれば、公式会場と合わせてこの「もう一つの万博」も体験してみてはいかがでしょう🐏
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